臥薪嘗胆主義と贖罪意識

今日(文章を書いたのが3月6日)の「たかじんのそこまで言って委員会」(関西ローカル)が。その中で南京大虐殺が完全否定された。60年間日本を苦しめてきた贖罪意識の呪縛からようやく解放された。そのくらい衝撃的な内容だった。

http://blog.goo.ne.jp/poconyanx/e/8e933aa3e4cd8b8cba2c1ad78325b8be


と、若隠居さんが書かれていた。若隠居さん、もしかして若いんでしょうか?など言ってみたいです・・・。
(訂正:まったくの人違い、ブログ違いでございました。アップ3分後ぐらいにご報告くださったおかげで速攻訂正でございます。ごめんなさい。正しくは、「斬れる日々」さんでした。お詫び申し上げます。)


というのは、このインパクトについては異論はないんですよ。また、私にしてもこのインパクトをどれだけ待っていたことか、です。ですが、しかし、そんなにずっと贖罪意識に呪縛されてたなんてことはないと思うんですよ。


番組内でも触れられていたけど、今40歳ぐらいから上の人は学校時代に南京やら慰安婦の問題を習ってはいない。ってか、ほとんど話題になってはいなかった。しかしだからといってあの戦争が良かったと習った覚えもないしそんな考えが許されていたわけでもなかった。しかしながら、贖罪意識なるものが蔓延していたわけでもなかったと思う。単純にいえば、80年ぐらいまでの大人たちとは実地に戦争を体験してきた人が多数を占めていたわけで、その人たちが、今から戦争なんかするのはまっぴらごめんだと言っていたところで、それは別に贖罪意識なるもののせいではなかっただろうと思う。


 また、経済で勝ってやるというやる気が充溢していた時代に贖罪意識が主流になることなどないとも言えるだろう。なんというか、80年ぐらいまでの日本は、栗本慎一郎などが、東京にいる限り、いやしくも大学生である限り、自民党を支持している人なんてどこにいるんだと思ったぐらいだった、そしてみんな左翼みたいなものだった、といかにいったところで、それはただタライの中の渦の中心に泡がたっていたそれを大波だと思ったぐらいの妄想ではなかろうか。タライは大きく、結構安定して頑丈だったと(だからこそそれら左翼または多くの学生にとっては隔靴掻痒だっととしても)。そもそも臥薪嘗胆主義たる吉田茂路線の上にあるからこその我が身ではあったのだし、70年代の奇妙な明るさはもってこのやる気のおかげだろう(実際経済の成長時代なんだから。暇があったら80年前後ぐらいの経済関係の一般書を読むことをお若い方におすすめしたい。同じ日本とは思えないぐらい、エライ自信ってか、勝ってしまってどうしようと悩んでさえいた。バブル前の方がむしろすごかったのじゃなかろうか)。
 と、そんなことを思い返してみると、贖罪意識なるものは、後にインプラントされたものと考えるべきかと私は思う。
 
 結局のところ、多くの大人は、大人になってから起こったこのインプラントに抵抗しちゃったわけだと思うし、相対的にみて若い時分から適応させられた人は、未だ夢さめやらずなのかもしれないななどとも思う。