風がぬるくなった

結構たかじんが好きだった私としては、「たかじんのそこまでいって委員会」は見たい見たいと思っているテレビの一つだったりはする。でもここまで機能的に検索して何かを探すことになれてしまうと、テレビって冗長すぎて、見たらつまらなくなるのかななどとも思える。どうでしょう。今度帰ったら、見たいって、関東じゃどうしようもあんめーなので、結局同じか、ではあるね。


そうそう、テレビは冗長だといったけど、日本のテレビのニュースの冗長さは特筆すべきものがあると思う。なんであんなに話すのが遅いんだろう? 特にNHK。聞いていられないほど遅い。日本にいる時から早回しで見たいとさえ思っていた。で、こっちのテレビのニュースのしゃべりはだいたい大抵早いと思う。CNNなんかは全部ニュースやってるから同じことを何度も、メリハリはついてるにせよ、結果的にたらたらやってるも同然だなと思うけど、その他の定時型のニュースはとても早口じゃなかろうか。NHKと比較したら全部駆け足で話しているようなものかもしれない。この差異はなぜ起こっているのだろう? 時々考えるのだが理由がわからない。


それはともかく、たかじんの番組のフルテキストを見せていただいて感謝感謝。お借りします。

たかじんのそこまでいって委員会フルテキスト(1/3)
http://blogs.dion.ne.jp/vavilon7/archives/714538.html


今回は、「アメリカでベストセラーになった「THE RAPE OF NANKING」を始め、大虐殺に触れた著作物を可能な限り収集し、そこに掲載されていた証拠写真とされるものを検証」した本を出した亜細亜大学教授の東中野修道氏を呼んで、フォーカスは当然、これがあったのかなかったのか問題となる、という仕立て。


で、既にみなさんご承知のように、この番組内では、南京大虐殺なるものは、無かった、というのではなくて、あったという証拠といわれていた、あるいは、「あった」と印象を人々にインプリントすることに寄与しつづけた写真はどうやら信用できないじゃないか、という点までこぎつけた、と。



それの正否はおくとして、私が非常に気になりつつ、また、不審じゃないのかとまで思ったのはデーブ・スペクター氏の言動。


かいつまんでいえば、あったに決まってる、外国ではもう決まってるぅ、みたいなたいそうな煽りで登場し、中盤では、でも南京が覆ったからっていってあの戦争を正当化するのはいかん、と、まだ誰もそこまで踏み込んでないのに勝手に勇み足をして、三宅氏などにいさめられて、写真の検証をいくつかした後、最後には、あったってはいえないのかもな、という地点まで落ちてきた。


もしこれをスペクター氏が「素」でやってるとしたら、この人はただの「アホ」でしかない。しかし、一応この、彼には彼の役割みたいなものがあるように私はずっと思ってる。でもってそれはそんな「素」のアホがやらかす仕事じゃないでしょ? じゃあ、なんなのこれは? なのだな。


小さく考えれば、既に「外国では」の煙幕が通用しなくなった上に、チャイナものに関するアメリカの評はこの1年ぐらいでぐぐっと方向を変えた。だから、氏がここで強情を通すことは、氏のタレント生命にかかわる。このへんで、物わかりのいい男になっておいたらまだ生きられる、ってなことか。しかし、そんな話か、これ?


私に結論なんかないのだが、こんなのって、スッピンのわけないでしょ?と私は考える。だから、なんかこう、嫌な雲行きなのかなとか一応疑念を示しておきたいと思う。じゃあどんな雲行きなのかは、ちょっとまだなんともよくわからない。ただ、くどいが、なんかへんだよこれは、だ。


とはいえ、こうやってローカルとはいえテレビ媒体がこの主張を取り上げたところで、もはやもう90年代ではないところまでは来た。これはもちろんめでたい。なんだったんだ、まったくとさえ思うっすよ。