一般論として読むべし
この本、日本人の特性みたいな読み方を長くされていると思うけど、そういうことじゃないのだと思う。そうなったのは単純に筆者の土居氏が別世界(アメリカ)に出かけていってみてはじめて比較軸が出来て考えたからであって、その成り行きで、アメリカと日本、あるいは西欧社会と日本の差異みたいに読まれているのかなと思うんだけど(今現在どうなのか私はよーわからん)、そういうことじゃなくて、一般論として「甘えの構造」に耽溺する傾向を宿す人がいるのだ、あるいはそれを奨励してしまう集団があるのだ、と読んだ時、この本はかなり普遍的な重要性を指摘していると思う。
- 作者: 土居健郎
- 出版社/メーカー: 弘文堂
- 発売日: 2001/04/18
- メディア: 単行本
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はてなのこの項のエントリーがまさに私が考える従来的な読み方をあらわしている。
http://d.hatena.ne.jp/asin/4335651066
そうじゃないよ、と私は考えてる、と。もう少し別のいい方をすれば、最初に別世界の人に会うと、自分とその人の差異を、自集団とその集団の差異のように考えがちだが、対称軸を2本から3本以上に増やすと必ずしもそうは言えなくなってきて、1)説が自滅するか、2)もっと普遍的な説になるか、のどちらかになるって話だと思うっす。で、この2)を追う研究者ないしは哲学者なんかが出てくるといいのにね、from Japanと思う。蓄積多いんだから。