みんな語りたいらしい

どこかから迷いこんでいった2チャンネルで見つけたスレ。タイトルが面白いのであけたら投稿数が少なくて今一っぽかったのだが、この投稿ちょっとなるへそ。戦争に巻き込む権利もないならこっちもありだと気付くってのがなかなか。作ったにしてもいい。


私は朝日新聞を読んで人生を狂わされました
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1106976109/l50

狂わせられずにセーフの例。というか危うかったのか
:05/02/06 10:34:18 id:fgf/oPUg
ウチは親が労働組合だったせいで小学校高学年〜高校まで朝日取ってた。


でその高校の時に、学校の帰り道に友達と話してて「日本は軍備すべきかどうか」 なんて話題になった。まあ自分がガノタで彼はミリオタだったので、よくある高校生の 背伸びした議論になったわけだけど、彼が「でも最低限の軍備は必要だろ。身を守るには」ときて こっちは反射的に「軍備なんか捨てるべきだ!」とかなりの大声で答えてしまった。

で、極論も極論だったもんで言った自分も聞いた相手もそれで道端で固まっちゃったw


今思うとここで呪縛が解けたんだろう。 「非暴力の信念に殉ずるのは結構だけど、それを是としない同胞(友人)を『巻き込んじゃう』のは いくらなんでも変じゃないか?他人を『博打』に付き合わせる権利なんて俺にあるのか?」と。


ここまで言語化してようやく朝日新聞的独善に気が付いたわけ。 当時そんな言葉は聞かなかったけどメディアリテラシーの目覚めだったね。

この見解が面白いのは、左翼の人の「しばり」みたいなのがきれいに出ているから。日本は閉塞している、同調圧力がどうしたと語る人は、まぁ根拠のない話だと思ってもらっていいけど、どちらかといえば左の頭のいい人に多いのではないかと私はかねがね観察するのだが、それって当然の成り行きなのじゃないのかな。難しい結論が先にあるんだもの。


と書きだすと軍備万歳派なのかとか嫌疑がかかるんだろうけど、基本的には、あるものを「ない」ものとして放置することよりもコントロールすることに専心すべきだというのが私の考え。


で、上のような感じで軍備をはじめとした国家に関する基本線の議論が事実上とまって、そのうえそれが個人の信条の問題にまで及んでいるという状況があるとすれば(あると思うんだが)、それこそが軍をどうやって管理したらいいものかの議論を妨げ、時間とともに成り行きまかせにしてしまう危険性はかなりあると思う。言い方がなんだが、利用可能な頭の非常に多くが国家をマネージしまっせの方にいかないんだもの。で、ほとんどまったくお話にならない人たちばっかりがよりどり集って憲法やら軍やらをいじることになるとしたら、これって悔やんでも悔やみきれない。(去年の夏に憲法改正をいう自民党の調査会だかなんだかを熱心に読んで以来特に、危機という危機はここにあるよなとまだ思ってる。どうでもとにかく時間稼ぎして対応可能な資質の人の登場を待つ以外ないのかなとか思う。)