妹よ、日本国籍を取れ

妹よ、日本国籍を取れ−最高裁判決、原告は差別だと批判したが
鄭大均・都立大教授/在日韓国人・鄭香均 
ニューズウィーク(2/16)
http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/newsweek.html


鄭大均氏の発言自体には全然驚かないが、ニューズ・ウィークがこう来る、ってのに驚く。あの、あのNW日本版、頭腐ってるだろうおめーと毒づいて読まなかったら中毒になりそうなあのNWが、に驚く。


ってか、その前にこのお兄さんの妹だったのかというのは驚いた。知らなかった。ってか、なんとなく名前がにてるなとは思ったけどそもそも姓が少ない人々だからなとか思ってた。が、じゃあ、あの会見のテレビ的仕立ては、ずいぶんと別のイメージにもなり得たのだなと今さらながら、日本のテレビ局のわけのわからなさにぞっとしてみるっすよ。


一応陰謀論的には、北を悪者にして南を救うぞ作戦なんだろうなとは思うし、意図がどうあれそういう結果になるだろうが、でもこのお兄さんの言っていることは(私の知る狭い範囲だが)概ね筋は通っているのじゃないかと思えるのでケチをつけようという気はない。比較対象に生姜を持って来ようという失礼なこともすまい(笑)。それはあまりにひどい。国立大学教員審査要求するぞ。


そうそう、このお兄さんが出てきてはたと気がつくのは、 生姜 とか例の妹って二つの「国家」の間で苦しんでるなんて聞こえのいい話ではなくて、むしろ 日本 製サヨク なんじゃないのかなということ(そもそも朝鮮語を話せないらしいじゃないか。それは山川海の切り口、つまり世界へのアプローチがそこにいる人々と異なっていないという意味でもある)。世界知らずというか、他に比較対象がないのに「 日本人 はぁ」とか言ってまったく平気という発想だし、なぜこういえるのかといえば、それは身内への甘えだからというオチ付き。


身内だと思うから、といって身内ではまったくないのだが擬似的に身内のようなもの、要するに自分を含めて個人という発想を欠いている状態に安住している。だから、全員ひっくるめて「 日本人 は残酷 だ」とか優しい誰かの前で言ってもまったく気にもとめない。個別の他者を相手にしていたらエライことだ。


でもこれは日本人に特徴的な話ではなくて、移民したての人にはよくある。カナダ人のおばさんに助けてもらってるのにもかかわらず「カナダ人は冷たい」とか平気で言ってる。そのうち自分が話している個別の誰かと、捨象の結果である「カナダ人」の区別がつくようになる。むけられてる個別のカナダ人の方は言語が未熟な時にはありがちだと思っているのか、結構みんな鷹揚に見えるがそうでない場合も当然ある。おまえなんだ、と。

そもそももし本当に二つの国の間で苦しんでいるのなら、たとえばAという親かその親かの国を幻想した場合、それはつまり、自分が他集団の中にいるものとしての自覚になる。契機だ。その時、少なくとも(よしんば一時でも)、どっちでもいいんだ、とはいえなくなる。なぜなら、境あるいは枠があるからこそAだからだ。どっちでもいいのなら、Aでなくてもいいのだ。従って、お兄さんの行動は、Aへの尊敬の故であるともいえるんだろう。他者であるからこそ尊敬できる。生姜、偽じゃん。