同調圧力の効用


憂国」という同調化圧力
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/02/post_7.html

総連だって最早一枚岩じゃない。そもそも彼らにはもう発言権がほとんど無いでしょう。だから、左翼な連中にすり寄って、彼らをダミーにするしかない。でも、言わせておけば良いじゃないですか。総連なんてただの絶滅危惧種ですよ。「反日左翼」という表現は、あまりに侮蔑的で嫌だけれど、彼らだって、世間に対して影響力は何ら持っていない。せいぜい「週刊金曜日」の固定読者の数万人に対して線香花火を点ける程度のことしか出来ないじゃないですか。そのまま人間国宝に指定して、戦後日本が生んだ徒花として保護してやれば良い。


作家の大石英司氏のご意見。これはとても分かる。そして半分ぐらいの自分はこうなんだよなとも思う。だけど、それでいいのだろうかと、どうしても私は割り切れない。割り切れているのならもう多分何も書いたりはしないだろう。商売ではないのだから。


大石氏はご自分でも書かれている通り、左翼に親和的だから心理的距離が小さく対象に近いために、左翼といった時、第一列を見ているのではないかと想像する。そしてこのことから来る事態に対する錯誤が生まれているのではないか。つまり、一列目にはバカだとしても理念がある。しかし二列目にあるのは理念ではなく信仰だ。問題はこの二列だ。一列目は自らの意志でそれを捨て得るが、二列目はそれはとても難しいと言い換えてもいい。意図と結果は違う。


この時、私はそれを見ているのだろうか。あるいは、自分のことだから「べき」と使ってもいいだろうが、見ているべきなのだろうかということ。もちろん、一番いい回答は見ないふりをすることだし、自分にできることを諦めることだろう。


私には同調圧力が常に悪いことだという自信はない。なんとなればその中でコンセンサスを得たものが数多く私のプロパティとして内在しているはずだからだ。そして、同調圧力を無視して生きていける(それは食うという行為を含めて)人がそれほど多いとも思わない。