女性基金解散:まったく何だったのだ


[女性基金]「何のための事業だったのか」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050205ig91.htm

しかし、もともと、この「基金」が創設された経緯には、歴史の歪曲(わいきょく)が大きく作用していた。


まったくだ、だが、1月24日に書いた通り、このへんで手を打てる気がしていた日本の甘さが現在をもたらしたのだろう、やっぱり。自分もその一人だったなと思う。どうあれ悲しい目にあった人がいて、その人たちの気が落ち着くなら、ちょっと法的にはどうかなと思ってもそれでいいのじゃないのか、ぐらいに私は実際思っていた。反省する。世の中それが通じる人と通じない人がいるのだと理解するのが遅かった。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050124#1106584204


このため、韓国などでは、いわゆる従軍慰安婦はすべて「強制連行」であることを日本政府が認めたというように受け止められた。また日本国内でも「強制連行」への「償い」をすべきだという運動が勢いを増した……という経緯により、「基金」が設立されたのである。


「……」というのが泣かせるものがある。そう、実際印象とムード以外にないのだ。

が、これは韓国だけの責任じゃない。むしろ日本人の学者が火をつけてまわっているのだが、その主体者の意図を見抜けなかった私を含む私たちの根本的な発想、ないしはこの問題に対する受け止め方は、上のような、まぁそれでいいならそうしときましょ、という曖昧なものだったといっていいと思う。


だから、ここで私たちは方針を確認しないとならない。まず、他人とか国際社会のせいにしない。朝日をはじめとする国内の活動を厳重に精査すべきだし、詐称、作為があったのなら相応の処罰を法にのっとってすること。そのうえで抗議すべきを抗議し交渉すべきを交渉する。そうでなければ、見えない敵=恐怖=国際社会と戦うような気分に国内が陥る可能性があるのじゃないかと思う。それは、欧州情勢奇々怪々と言わしめたオフサイドトラップへの道につながると私は思う。開けておくこと、透明性を高めること、その中で原則を曲げないこと、これぐらい強い危機管理はない。


そういう意味からも、大メディアのクロスウォッチは今後もまったく必要だ。文に戦争させたないために。


雑駁にいって、私が非常に心配するのは(自分のこととしても)、この特別に過去にこだわる人々に関わったおかげで、日本の国内世論全体がうらみがましくなったりくどくなったりしていくこと。これは避けたい。こんなものからは何も生まれない。