国籍条項と私、それこそ私


どうなっているだろうと2チェンネルをのぞいたら案の定すごい早さでスレが動いていた。
その中で、私にとって国家の主権、選挙権の問題とはそうこの感じだなというのを発見。金美齢氏の記事。


外国人参政権法案に私も一言」
http://www.kin-birei.jp/suggest/sankei/20001119.html

「日本と台湾の間で、もし戦争が起きるようであれば、私は台湾人として行動するから、日本の公務員になることも、統治にかかわる参政権を求める気もない」

 日本で生まれた2人の子どもは、一人前の大人になった時点で、彼らの自由意志によって日本国籍を選択し、これを取得した。
 彼らが名実ともに日本人に、それも立派な日本人になることを私は願っている。
 
 私は自分の自由意志で台湾国籍を堅持している。
 だから、参政権を求めないことが、主権国家日本に対する礼儀であり、敬意の表しかただと思う。
 私にとってこれは倫理の問題である。


戦争というのは文字通りの軍隊の戦争にかかわらず、経済でも情報でも戦争だと言い得る。普通の状況では単なるビジネスだわで通していいことだけだろうしその複合的な結果が日本国民の損になったとしても私にはそこまでの責任は取れない。これは日本国内にすむ日本人だって同じだ。


しかし、どれだけ両者のために善かれと思ったとしても、どういう成り行きでか、明らかにどちらかの国を利する可能性が高い状況に遭遇することはあるかもしれない。望むと望まざるとにかかわらず。その時、私はどこからどう考えてもまよわず日本を選択する。だから、私が日本国籍を堅持しそう宣言してもいることは、相手にはそういう最終決断を折り込んでくれというつもりだとも言える。その結果私はどこかで不利益を被るし、現にカナダ国籍ではないからとやんわりと断られたビジネスの案件もある(つっても弱小な話だけどね)。しかし私はそうすることが他者に対する礼儀でもあるし、私自身に対するそれでもあると思っている。