鎖国メディアの終焉


中身自体は結構どうでもいいんだが(だって、最終的には日本が決めること以外には何もないじゃない)、このgoriさんの話が私としてはとても、まったく、ええ、まったくその通りだったので喜ぶ。


今度はテレビ朝日がベーカー大使の発言歪曲報道
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000446.html


テレビ朝日がベーカー氏のいっていることはこれですよ、と伝えているが、他誌と比較し、かつ、英文で伝わったものを読み、さらには大使館がアップしているものを読んだら、意味が違うじゃないかという話。


私自身がこういうことを、ねちねちと追っかけてきたので、今さら何をと言ってみたい気は相当にするし、多くの人もそれに気づいていたのだろうとは思う。だから、私のところみたいな弱小ってか、別に何か面白いってわけでもない、少なくとも「おまけ」はないようなものを読みに来られる方もいるのかなと思っていた。どうもお世話さまでございます、ほんとに。


で、この2週間ぐらいのことを見てて、なんとなく、これってもう本当に「終焉」だなと思った。つまり、私が考えていたのは、朝日に代表されるがしかし朝日だけでもない日本のメジャーなメディア(書籍も含む)は、たいていの人が「外」はないという想定でやっていると思う。日本流の切り口だといえる場合ももちろんなくはないが、それはしかし同時に、フィルターだ。このフィルターが必要な場合もあるが、今となっては弊害の方が多くて目づまりはするし、つまったあげくに、自らすすんで他誌諸々(国内外を問わず)を読もうとする人が増えてきた。つまり、もう溢れかえってるってことだと思う。


そう、今起こっていることは「捏造体質」が現れたとかいうのではなくて、鎖国メディアはもうで存在できない、っていう確認が行われているということではないのだろうか。


仮想鎖国状態で隆盛を誇ったメディアはもうどうしたってもたない。ただそういうことだし、最初っからそれはそうなのだ。しかし、わざわざ閉めようとする人が大きな力を持つ傾向は隠然とあるんだから、ここは私たちの方が、結果的に人々の目づまり→奔流行動が今の事態を招いたように、ず〜っといろんなものを見ようとする窓を開け続けておくことがとても必要だと私は思う。ここで、ふんばらないと、単に朝日的なものへの反論として、思ってもみない方向にひっぱられそうで(具体的でないのがスマソだが)、それが恐いと書きたいところだが、恐いなんて結論しても意味がないので、開けておくことを念頭に生きよう、など呼びかけたい。おお、大きくでたわね(^.^;;


偶然には違いないが、こちらも日本のメジャー新聞と英文記事との「トーンの違い」に言及されていた。


OECD対日経済審査報告と毎日新聞社説でちと考えた
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/01/oecd.html