「ジャッジはあなた」の意味

窓の外は晴天。ポカポカのような気にもなるが外の気温はマイナス10度ぐらい。


さて夕べ考えた、
「極右/ちょと民族派/ちょっとリベラル/極左の4つ組にする 」についてさらに考えた。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050118#1106027250

同じことはNHKの番組にも言えて、1本の番組に対して公正だの中立とかをしゃかりきになって求めるのはもうやめたらどうだ? 中道とは時と場合を限定して以外にはありえない(宗教的な見解は置くとして)。このいい加減で曖昧な言葉を政治から外すべきだ。あるのは意見A、B、C.....であってその中で個別の案件に対して個別に中道が存在する。いつも中道なんてただのウソ(後から考え時あの人はいつも真ん中を取っていた、とは総括できるが)。以上。


そう考えるからこそ、「例えば、極右/ちょと民族派/ちょっとリベラル/極左の4つ組にして、極右には極左をぶつける。ちょっとにはちょっとだ」と書いたわけだが、自分で捕捉する。これは別に、政治的立場を固定的に捉えよという発想ではない。


そうではなくて、基本は案件ごとに極端と極端、A案があがったら異論を唱えてる人たちはいるかなと考えて拾う、そういう作業の集積として、何年かデータがたまったら、例えば4つ組になるかな、となるかもしれない、という順序だ。ま、具体的には、仮説しつつ(A案の対抗はあのへんにあるよな、という作業を効率的にできる)、あくまで具体的な案件に添って、組になる説を拾うということだ。この際切り口は別になんでもいい。それこそ編集権だ。


たとえば、


女性たちがクローズドで昔の事件を持ち出して「裁判」を行なっています。これで戦争時代の犯罪、とりわけ性犯罪を裁くという主旨だ。この様子は昨晩XXXでお伝えした通り。これに対して、某氏を中心とするグループは、この「裁判」を主体とした取り組みに対して強い異論を唱えています。今夜はこちらの集会の様子をお伝えします。過去の犯罪を今現在の人びとが裁くことはどこまで可能なのか否か、あなたならどうしますか? あなたの意見をお待ちしています。ご意見は03-000-0000またはe-mailはxxxxxまで。


番組の最後に、あなたの番ですといって数通読む。その際には良い意見というより極端な意見を表示する。その他はウェブサイトで読めますよ、と視聴者に案内する。


こういう経緯でいけばいいのじゃないのか。とやけにさらっと書いたが、それは私がこの様子を始終見ているからさらっと出た。