偶然の集積

もはや引き返しようもないほど寒い。マイナス10度だと体感気温がマイナス17, 8度になるからね、しゃれはない。一切ない。

日本だとお正月を超えて、2月が最も寒いのだと言いつつもどこかで春を感じることが可能ではある。文化的規制がそういうフレームを身体を通して養成しているのだと言って言えないこともないが、実際なんか時々ポカポカがあり、陽がのびましたねぇ、なんてセリフにも実感価が伴うために、もう春だ、確実に春に向かっているのだというゆるぎない信頼が醸成される。


まぁトロントだって今年も春は来るんだと思うんだが、毎年この時期になるとひょっとして来ないのではないかと一回は考える(多分ウソ)。そうして、昔の人が春の訪れを喜ぶとは今の私たちよりもずっと大きくて大変なことだったのだろうと思い直す。なぜなら、まず第一になぜ私たちが春が来ないわけはないと思えるかと言えば、地球物理学的知見が一般に流布しており、自転も公転もとまりません、とまったら春どころじゃないっすってことを知っているから、日照に変異のあり、今よかもっとお日様と仲良しの時間が来ることを自明であると言える。しかしこの知見が一般に流布されておらず、知る人しか知らない何かであった場合、人びとはなぜ春の来るのを確信できたのか。それは経験によってでしかない。しかし経験は人に安心感をあたえるとは限らない。実際には経験こそが真実を語っているのではないかとさえ思えることも多いという現実がある一方で、経験は偶然の集積でしかないかもしれないからだ(これ自体は反証可能でないだろう)。


それはともかく、フランスの国境なき医師団は継続して物議をかもしているようだ。


国境なき医師団元会長スマトラ沖地震でマスコミ批判
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/050115-214839.html


国境なき医師団」(MSF)のロニー・ブロウマン元会長がフランスのテレビで、

インタビューの中で「実際に現地で救援活動を開始して分かったことは、医療支援を必要とする重病患者や重症者は、予想よりもはるかに少なく、上下水道の整備などのインフラ整備でも、指摘されているような莫大な費用は必要としていない」と語り、国連などが試算する百億ドル規模の復興資金の必要性について、「理解できない」と語った。


のだそうだ。

この話、カナダ人にはまったく聞こえてないと思う。一般に援助は足らないもの、で話は決まりきっている。今後どうなることか。