国際社会なる誤解


なんとなく1つわかった気がした。
日本からの女性の中に、奇妙なほどこの手の問題に入れ込んでいる人をカナダ、アメリカで見る。でもって、そういうアイデアにただちに共鳴しない人は恥かしい、国際人じゃないみたいなことをかなり簡単に言う。ああそうですかと私は聞いたり見たりぐらいはしていたが、どうもこの、そういう言い方もなんだが、私は彼女たちが「国際的」だと言えばいうほど、むしろ逆にとても「独自」なものを感じていた。ってか、その彼女たちの姿勢の方こそが日本人らしく、つまり別に国際的っつーのじゃないキャラであるようにさえ見えてたりするかも?という疑いもなくはない。とても倒錯しているが。


リベラルってな語に釣られて、リベラルって書いてある団体の言うことはなんでも正しいと思っている人がもしいたら、それはやっぱり考え直した方がいいとと老婆心ながら書いておこうと思う。


トロントで考えても、パリで考えてもワルシャワで考えても、リベラルだってな人の中で、弁護人らしき人の言の見当たらない裁判をしてそれを法廷と呼んでしまうことに躊躇のない人ってのは、まずいないと言って悪い理由は常識的に考えていないっす。


システム的には違ったものに見えるけど、大岡忠助[訂正:大岡忠相]だって被告人に申し開きさせるよなぁ。だからこれってよくよく、わからんものがある。なんでこれでOKって思えたんだろう、この主催者。そっちの方が興味深い。いが〜いと、ジャッジする前には両方の話を聞くって、外在化したルールじゃなくて内在化してユニバーサルに、ま、散見かもしれないがあって、いが〜いと申し合せの不要なルールにみえるんだが…。ますます興味深い。


しかもこの「法廷」は事実上の「非公開」らしいのだな。この記事によれば(極東ブログさんのところで知りました)。

さらにどこで開催されるか尋ねると、「傍聴の登録完了者にしか教えられない」という。

 傍聴申込書をよく見ると、返答の通り、「会場は、東京都千代田区内を予定しています。詳細は登録完了者のみお知らせします」とあった。さらに目を凝らすと「誓約書」と署名欄。いわく「私は『女性国際戦犯法廷』の趣旨に賛同し、傍聴を希望します。

http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2001/ronbun/02-r5.html
(このレポートは、産経の記事を読むとひきつけを起すという人でない限り、産経の主張は割り引いても読んで損はないと思う)


傍聴人は趣旨に賛同しないとならないって、もう、言葉がない。このへんのことを知っていてさらにこれは報道すべきだと考える人がいたとすれば、それは、こういう暗黒裁判はいけないものです、を知らし人びとに注意を促す意図として、だろうか。


なんなんだこのへなちょこな話は。