人の話を聞くのはいいんだが


アメリカに住んでいる友だちがちょっとビザのことでトラブっていたのでなんとなく私もいろいろ考えて午後を過ごす。って、結果何が出来たわけでもないのだが。


私はアメリカ、カナダ両方に対してビザ申請をした経験があるので、この件に関しては垣根というか敷居というかが低い。へんな言い方だな。参入するのが気安い。これもへんだな。ま、とにかく話に乗りやすい、どれどれと何かを考える、資料を読んでみる、人の話を聞くといったことがしやすいのだが、だからといって決定打があるわけではないのでコンサル前のコンサルのようなものだ。が、まぁぶっちゃけ、コンサルの人も別にもの凄い決定打を持ってるわけではないと思うわけだが。その割に、ものすごく断定的に、あなたはxx、こうしないとxxと言うから頭に来る人もいるし、頭に来る人はガッツがあっていいが、そこで打ちひしがれたりする人がいるのが私には腹立たしい。


それはともかく、そういう話が出た場合、私はまずただちに可能な限り当該役所の当該資料を読む。真剣に必要ならプリントして赤線引いて読む。で、私にとってこういう手順というのはみんなそうなのかと思っていたわけだが、世の中そうでもないんだなと気がついたのはごく最近になってからだった。


問題が発生したな、と思った時人びとが最初に取る道は2つある(というほどのことか?)。1つは調べる、もう1つは誰かに聞く。で、私は、1→2で、もちろんどうしてもわからないところがあったら他人に尋ねる、というステップは広く当然だとみなされているものと思いなしていたらしい。そんなこと言ったって難しいこともあるわけで、とも考えられるが、調べて読むのが難しい問題は他人に尋ねても難しい。また概略がわかっていなかったら質問が的を射ることもないっしょ。もちろん、そのためにこそコンサルがいて、複雑な話をわかりやすく…、なんだろうが、それはどこまで行っても、複雑な話をわかりやすくガイドする、つまり導くというだけであって、理解するしないは究極クライアント次第だ、ってことだろうと思う。コンサルの仕事とはだから究極はガイドなのじゃないのか。だからクライアントにまわる場合は振り出しに戻って調べとかないとダメじゃんか、だと思うんだな。商売上そうは言わないのがお約束なのかもしれないが。


と、これは別に上の友人のことではないので、誤解しないように、と書いておく。ごめんよ。


ただ、ビザネタのたびにとは言わないが、かなりの確率で、調べたりしたこともなく、いや参考までにお話を、といっていろんなことを尋ねてくれちゃう人がいるってのを一応書いておきたい。いいんだけどさ、私に限らず多くのは人は話すの好きだし答えるのも好きだし、他の人は知らないが私は考えるのも好きだ。自縄自縛的に好きだ。ほっといけ。いやそうじゃなくて、他人に尋ねるのはいいんだが、根本的に理解しようという構えがないと、Aがこう言ったからBがこう言ったからで伝言ゲームになっていても気づかないってこともあるんだよ・・・ということを、私としてはやっぱり言いたいものがある。


いやどうでもいい話だが、この、人の話を聞くのが好き、割り込んで一口差し挟みたくなるのがなんのかんのといっても好き、イヤなのに好きってな私は、映画というのをこういう人の話と同じように見ているのではなくて、聞いているのだろうな、と思うのだ(唐突に強引に映画の話に戻る)。