ひとりぼっちのクリスマスを避けたいのはなぜか


と、隊長のブログの7万こ目のコメントが、

  • -

10 名前: ななしさん :2004年12月24日 00:51 [RES]
クリスマスは廃止
--
http://kiri.jblog.org/archives/001288.html


だったのだそうだ。でもって、その下につくコメントをざらっと見るに、クリスマスに一人なんてダメ/カッコ悪い/さみしい、といった感じらしいのだな、どうも、若い衆の発想としては。


で、このことは従来、 日本人 は独特の クリスマス を作りあげてしまった、それは概ね商業的な環境のせいだ、ってことで語られてきたと思う。最初は ケーキ (高度経済成長期 モデル か?)、その次は ホテル で二人っきりの クリスマス (湾岸の ホテル が立った頃からさらにこの声が大きくなった)、なんだか知らないけど 表参道 にシャンゼリゼだっけか(これはなんだろう。公共または コミュニティ 投資 の時代 か)、そんなのもあった。で、そうやって、本来の クリスマス とはかけ離れたものができてしまった、と言わ続けて長い。実際ホントにそうだ。 ケーキ も二人っきりの クリスマス も西洋 社会 の人びとにはなんの関係もないです。


この説明に私はもう1つつけてみたい気がする。この時期は陰極まって陽になる時期を大禍なく過ごす、明けたら喜ぶ(喪があける、と同じ発想)、が基本だろう。で、陰極まる頃には、やっぱ寂しいのではないのだろうか。だからこそ、従来は家族どころか一族郎党的な集まりがそこに用意されていた。で、西洋人のクリスマスは基本的にはこれを踏襲している。

が、日本人の場合はお正月的あり方にある種批判的なトーンがかぶっている。昔っぽい、因習的な感じで、なんでお正月だからって実家に帰んないとなんないんだよ、と。親の顔なんかいつ見たって同じだろう、何が親戚だよ云々。この「ひねり」は西洋組にはない。


そこで、それに変わる集合機会を クリスマス に求めている人がいるのではあるまいか…。二人とか 家族 とかそれぞれにあり方はいろいろだが。となると、陰陽機会が提供する不安から逃れるためのgather together機会としての クリスマス になるで表面的には西洋組と同じことになってしまうのだが、その根はない。さらに不安だ。ってか、だからここは 家族 集合機会にはなれないってことなのかもしれない。


ま、考えすぎだと思うが(笑)。