クリスマスというか、暮れてます


クリスマスといえば、せーよー人は休みを取る、仕事が動かない、どうすんだ、といったことが東京にいた時しばしばあった。しかし、こっちに来てから考えてるとこれは別の様相を呈して、なんか結構大変な外地人です。というのは、こっちにいる日本人はこっちの習慣で好きでも嫌いでもクリスマス周辺をすごす。だいたい、24日は午後お休み、25日お休みというのがスタンダード、カナダは26日もお休み。自分だけなんかしよーったってとても難しい。24, 25はお店もしまってしまう。


しかし、ここの人たちはそうやって26, 27日ぐらいまでアハハ、オホホを過ごすと結構あっさりと引いて、一応1/1に、New Year! とか言うことは言うし花火ぐらいあげるけど、2日からは平常通り。


で、日本人にとってはここからが本番。「年越し」という特定の語があるぐらいで、年が変わることをまず確認および厳粛に、感慨深く歓迎しないとならない。その後それがあけて、あけましておめでとうを寿ぐ、言葉を言い交わす大会がはじまる。

となると、北米もしくはその他クリスマスのあるところの日本人の中にはトータルで、2週間ぐらい殆どまったく仕事にならない人がたくさん。どこの出身の人びとよりもこの時期稼働率が悪いのは日本人ではなかろうかと思う。いや、そんなに仕事ないからそれでいいんですが、毎年、同じことを思う。


で、ここ数年を見ていて、日本も外地の日本人みたいになってしまっていないか、など思う。それはなにもクリスマスのせいではなくて、微妙なところに天皇誕生日があるから。ここでお休みがあるせいで、ここから「暮れ」がはじまるようになってないですかね? 

だとすれば平成がはじまったと同時にこうなったと言いたいが、人びとの習慣の中にはクリスマスがらみから暮れに移行するというのはなかったから、最初の数年間はその名残で人びとは28日ぐらいまでを平常通りと見なしていた。まだ落ち着きがあった。が、23日に休みが入って28までの24, 25, 26, 27の4日を平常にといっても落ち着かないしそこに週末なんか入ったひにはどうにもならない。え〜い、もう暮れだぁ、じゃないですかね。


ということは、暮れ期間の延長であり、暮れからお正月という国民的、全国的に生産性に寄与しない時間が増大した、と。失われた10年の発生及び構成要因の5万分の1ぐらいはここにあったりしないのかなど思うんだが。どうだろう? (別に国家規模で生産性に寄与することが人生だとか言いたいわけじゃないですよ。)