文化差は文化差でも・・・・

OECD学力調査について。最初「極東ブログ」さんがとても興味深いエントリーをあげてらして、
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/12/post_4.html

その後を受けてのkom’s logさん。

http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20041220

文化的差異(すなわち日本人は意見をいうことに臆病(政治的、とfinalventさんは言っているが)なのでについてなのだが、こちらにエクセルファイルがある。(→リンク)これみると、日本人15歳の"Reading"能力はおそるべきことに屁理屈の大得意なフランス、ドイツ、合衆国いずれをも凌駕している。あんまり文化的差異ではないなあ、と思うのだが、どうだろうか。


いやこう、最初は私は雑駁に、討論とか議論が苦手な日本人ってな線を思いうかべたのですが、kom's logさんと同じようにサマリーを読んで、なんかちょとひっかかっている。


結局よくわからないことはわからないのだが(なんせ個別の答案見てるわけじゃないし)、ただ、カナダ人(オーストラリア、NZもか)が比較的高得点を出していることから考えて、模範的な、あるいは求められている解答あるいは解答の引き出し方はいわゆる「議論」とかdebateと巷間言われるそれとはちょっと違うかもよ、と考えてみてもいいかなと思ったりもしている。


求められているのは、おそらく、ってかexecutive summaryにもそんな注文が書いてあったが、それを実地にすれば、与えられた各種のお話を引きあいにして簡単なargumentこしらえてリポートする、みたいなスタイルなんではなかろうか。で、これは勝ち負けのための議論とはやっぱ違う。また、結論が立派である必要も別にない。話は半端みたいな兇犬任△辰討發修譴任OKってことじゃないのかな。トピックをサポートしながら組み立てる訓練なんだから、と。(逆にここで主張が入ったら与件からは強引に見える、みたいな。科学フィールドの人たちにとっては言わずもがなという気がするけど)


で、そうだとしたら「屁理屈の大得意なフランス、ドイツ、合衆国」ってのはわかるような気がしないでもない。多分言い過ぎなんじゃないのか? 個人の意見を与えられたものの中で穏当に処理できていないのかも?ってこと。あまり確証なく印象で言ってるのにすぎないが、屁理屈大国は自分の発想または主文のために与件、ネタを使う的な発想がデフォになっていたりしないか、みたいな気もしないでもない。これは実際結局そうなんだ、としてもreasoningとしては誉められたもんではないだろう。なんとなく、英語圏の人にとって当たり前すぎるために書いてないだけで、ここでいうreadingとは実はreasoning基礎演習なのではないのか? 


いずれにせよ、最初に書いた通りわからないんんだけど、ありがちな話として、日本人が苦手だ、すわアメリカ、ドイツ、フランス人を見ろ、ってのでは解決しないような気がする。このへんは表から派手に勝つ文化だからさ、など言ってもみたい。


去年あたり、例のフランスの詩人大臣たるドビルバンが人びとの印象をさらった時、フランス人が子どもの時からどういう具合にレトリックに親しみ、ディベートを習っていくのかのレポートが新聞に載っていて、英語人たちは、「へぇ」と大変に感心していた。それじゃかなわないよねぇ、私たちもなんかすべきかしら云々と一時盛り上がっていたことがあったが、すっかり忘れているっぽい(笑)。それにしても、じゃあ隣のアメリカ人のことをどう見ているのだここの人たちはというのが結構疑問。