「ロバート・キム事件」が見せるもの

1)前にも書いたけど、チョソン・ドットコムにまとめてあったので再度書いておきたい。


「ロバート・キム事件」とは?
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/06/02/20040602000058.html

1996年に、米海軍の情報局に勤務していロバート・キム氏が米国の国家機密を漏らしたとしてスパイ容疑に問われ逮捕された。氏が伝達した情報は主に北朝鮮関連の高級情報だった。


ところが、これが愛国的行動に見えるのが韓国社会のようで、


ロバート・キムさんに「祖国」を取り戻させるべき
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/06/02/20040602000079.html

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同じような事件でイスラエルは、当事者にイスラエル国籍を与え、首相が代わる度に米国の大統領に釈放を要求するのが慣例のようになっている。米国政府が米国法によって機密漏えい者を処罰することが当然であるなら、祖国のために危険を顧みなかった人のために祖国が最善を尽くすのは当然のことだ。しかし政府はそうしなかった。

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ご当人のキム氏も、
8年ぶり自宅に戻ったロバート・キムさん 「母国のためにしたこと…後悔していない」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/06/02/20040602000069.html

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「私がしたことを後悔はしません。その時、連邦捜査局FBI)捜査官に『なぜ韓国のためにそんなことをしたのか』と聞かれたので『韓国と米国がサッカーの試合をすれば私は当然韓国を応援します』と答えました。この事件を経て、更に“濃く”韓国人になりました。書類上は米国人だけれど心は韓国人です」


いやそうなんだけどさ、だったら市民権なんか取らなければいいのだし、海軍で働かなければいいのではないのか、と思うわけだ。アメリカ国民としてはとんでもないことにしか見えないと思うのだが、それでもいいというのなら、やっぱりそれは、個人が契約することの意味を根本的に理解していない、それによって同じ契約に依っている不特定多数を裏切っていることになっている、ということにも全く無自覚なのだというのも、かなり新鮮な驚きだ。


で、私はこの人を非難しようという意図はまったくない。私はアメリカ人ではないから。だけど、信用しようにもそれは成りたちそうにもない。なぜなら私はその「母国愛」を共有できる韓国人でもないからだ。書類は、紙っぺらではない・・・と私は考えるが通じそうにもない。


契約概念というのを、やたらと西欧人から説き起こす人がいるが、そういうものでもないと思う。不思議なことに、見知らぬ人たちが寄り集まればそこにフェアに見えるやり方というのはある程度成り立つものだ、ってことかなと思う。そこから考えれば韓国とは(あるいは朝鮮とは)そういう「他者」を考察できない社会であるように見えるし、それはいささか飛ぶのなら「自由な市」、ま、楽市、楽座ですかね、こういうのを歴史的に自分で経験していないということか、と結局見える。


他者との差異を諦めることは、隣人関係を築くためにとても必要なことだ。