敵は誰なのか


私はこの記事を見て、今日は一体何?と思ってかなり笑った。なぜなら、私は昨夜からってか、一昨日から、この人道に対する法でいけばいいのだよな、それは丁度東京裁判やったみたいにさ、と思っていたから。日本人にとってはずっとこの裁判は目の上のたんこぶ以外のものでしかなかったが、ものは使い様だよな、だし、使われたくないと深刻に思っているのはアメリカなんだろうなと・・・・ずっとアイリス・チャンの話を追いながら、そんなことを考えたのだった。[訂正:アメリカだけのわけはない。]


今回のは別にファルージャに限らず開戦そのものが悪いという話だから、実際にはいささか事情は違うが、しかし大枠で南京の事件と重なるものがあるよな、とは思うのだ。


ただ私は、起きてしまった戦争を前にして、人道の罪なんかで裁くのはどこか話半分で、本筋をそらしているとは思う。土台、人道的でない戦争などあるわけもないのだ。そうではなくて、近代戦における戦争のルール作りをすることがまず求められているのではないのか。

つまり、戦争の主体は一体どうやって確定できるのか、一体敵が確定していない戦争はどう遂行されるべきなのか? どうルール付けられるのかということ。民間人とはどこまでを指すのか。そんなところをまず考察する。

次に、もしこれができないのだとしたら・・・? そう仮設的に結論していって、もしだったら戦争はできないと判断する人が多くなるのなら、こんなに望ましいものはない。それでもその枠内でできると考える人たちが死をもおそれず自分で、まったく限定的で制限的な状況でやれるようにしていてもいいと思う。


で、多分、人道とか反戦というアイデアからは、むしろこういう方向にはいかないだろう。単なる反米で終る。だから、もし内容をブレークダウンせずに人道、人道と言ってる人がいるのなら、それは、そうしたいから、つまり、どうやったら死にたくない人、傷つきたくない人を救いだせるのかについての興味からこの話に取り組もうとしているのではなく、ただ自分が勝てないから相手を腐しているというだけだ、と言っても過言ではないだろうと私は考える。


とかいっても誰がこの任務にあたるのか、が問題なのだし、それは多分今の国連じゃできないことはわかりきったことだ。というわけで、Walkomの意見などは今は「馬鹿げている」と見える人が多いのだろうが、向こう何十年かはこういう具合に意見、見解の出し合いの時間になるのだろうと思う。ま、その一方で強大になってしまったブッシュ政権つーか王権 *1) をどうするんだ、と言いながら。ま、この先は大国のぐらつきの何十年かになるんだと思う。ソ連が崩?垢訌阿呂修鵑覆海塙佑┐燭海箸發覆?辰燭?*2)


1) 4年後は無論ブッシュではない。しかし、どう考えても他国との戦争について共和党民主党にたいした差なんか認められないのだから、これはブッシュをベースとしたアメリカ王朝ぐらいに考えるのがざっくり適切なんだろうと思う。そういうわけで、あと4年、とか言っている人は、ブッシュを余りにも悪役にしたために自分が何ものになっているのか、自分が何を支援しようとしているのかが不明になっているのだろうから、顔でも洗った方がいいと思う。まるでみんな、ブッシュ以前は極楽だったかのようなことを言う。馬鹿げている。
2) それは私がただそれしか生きていないからにすぎない。