あるレッド・ヘリングの終わり

私が一時期上海に「はまった」のは森川久美の漫画『南京路に花吹雪』、『蘇州夜曲』がきっかけだった。友人の中にはファンが嵩じて中国語を習い香港に移住する計画をたて実行した人もいた。私にはそこまでのタフさはなかったが孤独な主人公の姿がカッコよくてカッコよくて、何度も何度も読み返していた。しかしその一方で、では一体「租界」とは何なのかが常に疑問だった。治外法権下の魔都であるからこその魅力なるものがあるらしいのはわかるが、しかしそういう治外法権状態を改めるためにこそ明治政府は踏んばったと教わっているわけだが、なぜ大陸においてはそれでいいのか? そんなのってありなのか?としばしば疑問に思うのだった。


チャイニーズのことを考えたらそんなのは良いわけはない、という簡単な解答も勿論胸の中にはあるのだが、何かそれで割り切れるものにも思えなかった。なぜなら、チャイニーズはいるんだが、それは国の民なのか?というのが漫画の中でさえ疑問だったからだ。つまり、そうした治外法権状態は遺憾である、といった意志を誰が実行的に主張できるのかが不明だった。で、こういう場合、漫画では「それが上海というところさ」といった陰りのあるセリフで話はすむし、それが一方で、国籍もパスポートもない、ビザもない、人びとは夢に憑かれたようにこの魔都へとやってくる、男は力を求め、女はそんな男に夢を託す等々といった背景が醸成され、読み手は、ま、そういうことだと無意味に納得する。感得してしまうと言ってもいいかもしれない。


このことは日本人が描いた魔都にだけ現れているわけではない。以前にとても面白かった映画として書いた「ジョイ・ラック・クラブ」の中に出て来る中国系アメリカ人の移民前の回想の中の豪華で夢誘うシーンは、魔都の存在抜きには語れない。
(映画の中の1シーン)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8310/movie4/2002-0320.htm


と、アイリス・チャンという自分といくらも年の違わない女性のことを考える時、私はこういう上海のイメージ、租界のイメージ、それは多分思考の背後に落ちる壁紙とでも呼びたいものを考えてみたくなる。アイリスはこの壁紙を持っていただろうか? 知っていただろうか? もちろん、この壁紙はチャイニーズにとっては屈辱だからそんなものを持つなど滅相もないと言うのは正論だ。しかしながら、事実租界はあったのだし、その租界にいたのは『蘇州夜曲』を楽しんでしまう末裔を生み出したところの日本人だけではない。誰でも知っているように、イギリス、アメリカの租界があり、そして、フランス租界があり、少なからぬ白系ロシア人がそこに落ち付き、言うところの、ヨーロッパ風の文化なるものを出来させたと簡単に語られる。絹と茶と金融を商ったイギリス人たちの住むところの高級さを、簡単に了承する。当然だと。


また、アメリカ生まれのアメリカ育ちが長い家系の人ではその数は少ないように見えるが(アメリカ人の補給は主に宣教師だからか?)、欧州からアメリカに渡って来た家族などには、上海、香港というのが私たちのそれよりも「身近」な人がいる。ええまったく、弟はいい暮らしをしていました、なんていい時代だったのでしょうと惜し気もなく回顧してくれる老婦人、老男性に私自身も出くわしたことがある。日本人にとってはこの当たりはタブーの領域だから個人や家族での述懐以外には公式には出てこないように見えるが、彼らにとっては別にどこもやましいことはないらしいので、いろんなことを教えてくれる。全然知らないおばあさんがカナダの路面電車の中であたり構わず説明していたのを聞いたこともあった。多分極東にいるフランス人が見せる中国への抜き差しならぬ食指とでもいいたいような感触(と私には見えた)なんかは直接にこの回想へと繋がっていると考えてみてもいいのじゃないのかなとも思ったこともある。中国だけではなくていわゆるインドシナ一般だが。


租界についてコンパクトにまとめてらっしゃるページ。お借りします。
http://www.analatte.com/shanghai/history/history2.html


このページによれば現在の租界評価とは以下のようなものであるらしい。

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上海の租界の評価としては、従来は列強国による半植民地であったので、帝国主義に対する批判の一例として挙げられていましたが、近年は逆に租界の上海の経済発展に貢献した重要な役割が注目されています。特に上海は西洋近代文化・産業に触れる中国側の窓口となり経済発展が進み、それが現在の上海の中国最大の近代化都市の姿につながっているというように理解されています。

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この変化の中には壁紙が存在する余地はない。

チャイニーズが自分たちにとっての「魔都」の問題を考えるようになるのはまだずっと先のことだということなのだろうと思う。短時日に達成される「思考」は恐らく、すべての列強が「中国」を食い物にした、悪いのは植民地支配であってそれがなければ「中国」は厳然として存在したになるのだろうーーーそれは清王朝のことなのか孫文が達成するはずだった、まだ見ぬものだっとしても。これは日本の侵略的、攻撃的な姿から逆に投影された思考である。この時、無条件に「中国」は最初から最後まで「国家」である。それも現在人びとが当然だと思うようなそれに少なくとも近似した。しかしそれは事実ではない。


このページも面白かった。お借りします。
租借地と租界
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/sokai.html


で、全体として、こうやって考えてきた時、昨日も書いたようにアイリス・チャンのもたらしたインパクトの寿命は尽きたかなとやっぱり思う。それは、閉鎖環境で、資料の足らないところで広められていなければそもそも保たない話だったから。なんとなくこのあたりは、自由貿易、為替の安定、独立した金融政策を一度に達成することはできない、とかいうセオリーの話に似てるかななどとも思う。