ナマの魚は食べないように、とトロント市が法制度化


Sushi rules leave chefs feeling raw
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今朝の一面がこれ。いきなりSushiの写真で何ごとかと思ったら、トロント市が生の魚の食用を禁止する規則を実施しようとしているらしい。

アニサキス症なんかがあるし、寄生虫がいるんだからね、と調査の結果がいい、しかしお医者さんたちはそんなことが多発しているなんて全然聞かないのになぜだ!と言っている。

これを受けてSushiショップのオーナーたちは怒っている、と。


私としては、こうなるべき、と考えていたので、良いことだと思っている。


なぜなら、魚のことをほとんどまったく知らない人が生魚を扱うというのはあきらかに危険だから。日本に住んでいる私たちは生魚を食べる人がいることが前提のお魚屋さんとか、卸のおじさんとかに支えられて、安心して生魚を食べる。寿司屋のオヤジは全員本職に決まってる。二代目、三代目だっている。ってことはだ、消費する私の前に来るまでに、普通リスクは回避されている。寿司の対価はこの目利き代と調理代だとさえ言ってもいいかもしれない。


が、ここではそういう魚屋はないし、卸がどうなっているのかわからない。私は悪いがチャイナタウンで売ってる魚で刺身を食べようと思ったことはない。下ろしたことはあるけど、ちょっと素性がわからなすぎなのでいつも煮るか焼くかしている。生魚はとにかく信頼できる素性でなければならないのだよ。

しかも仮に卸が目ききでも、実際店に出ているのは、どう考えても生魚育ちではない、つまり相応の注意事情に心あたりのないであろう人がとても目につく。


そう思っていたところ夕刻知り合いと電話で話したらこの話をふられた。私は、いいと思うと手短かに、魚を知る人がいない上に、魚を調理するというのはそうそう誰にでもできるってもんでもないのだ、ってのがよくわかってる人たちがやっているわけではないのに生の魚を食べるのはリスク回避の手段を全く欠いていると言った。また、日本には魚屋っていう立派な職業があって寿司屋はプロでなければ寿司屋とはいわんのだ、彼らが酢やワサビやショーガで念には念を入れて魚ごとに、あるいはその日の魚のレベルに応じていろんなことをしているのだ、とも付け加えた。(私は完全に興奮していた)


彼は、ああそうか、といいつつ、ああ、それは理屈があってんのかもなぁと言った。なぜなら、「怒ってるレストランのオーナーがリーさんってことは、つまりコリアンでしょ。彼は生の魚を知ってる人なのだろうか?」と言った。


なんか私の方がびっくりした。わかってんじゃんこの人(彼は日本に行ったことはあるが、あきらかにはっきり魚を知らないある意味で古典的な西洋人そのものの食生活をしている人)だった。で、すっかり忘れていたが、この記事のレストランの代表みたいな人は、Leeさんで、OmiというJapanese restaurantをやっていると書いていたのだった。


私は別に日本料理屋をコリアンやらチャイニーズがやるのがイカンなんては思ってない。だけど、やっぱり限界があるんだよなぁ日本料理はとどうしても思う。なぜなら、煮て焼いて食らうものなら別に誰がやっても、おいしさ、クィリティを除けば、安全面に関してはいいと思うが、上にぐじゃぐじゃ書いたように、日本の魚料理とは、実は、cookingという範囲には入らない、つまり、cookするとは、まさに火を通す行為なわけだから、これではないものを日本料理は含むのだ。これを、誰もが勝手にやっていいとは私は思わんのだが。


でもって、そういえば、思い出せば、チャイニーズの女性に、「日本人ってホントに生魚raw fish食べるの?」と尋ねられて、食べるよ、大好きだ、私はと言った。が、でもトロントじゃ滅多に食べないと言おうかどうか迷った。なぜならそれはちょっとトロントに対して失礼かもなと思ったし、第一私はこの人にその日はじめてあったからだった。


が、彼女にはそういう遠慮はないらしくて、「ほんとに食べるの。それじゃワイフたちは簡単なものね、クックしないでいいんだものね」と鼻で笑ってくれた。


あんたは何にも知らないだろうよ、北米で生まれたチャイニーズじゃ尚さら何にもね、と心の中で思ってその場は適当に流したが、今思い出せば、こんな認識を持つ人がともあれいるってだけで、魚を扱っていいわけはないし、それは別にこの人一人の問題じゃなくて、場として、マジョリティとしてここにおける食用の生魚、あるいは日本料理における生魚とは、が解決されるまで、私はこの場において生魚を食用に供するのは断固中止すべきだと更に、朝よりももっと強烈にそう思う。したがって、トロント市の決定に賛成!


ちなみに、上のせーよーじーーん(トランプの王様みたいな顔をしているだもの)は、何回かなま肉、タルタルを食べたことがあるんだけど、そういう時は、別にボクに限らず、よく知ってるドイツ人のブッチャー(肉屋)のところに行くもんだよ、と言っていた。こういう体験があるから当たりがつくんだな、つまり。


[追記:思い出した。
カナダの事情はちょっとわからないのだが(情けない)、アメリカだと日本人しかできない職として日本レストランのシェフ、概算でスシショクニン(寿司職人)ってのが認められていたように思う。

つまり、アメリカもカナダも、もし国内にいる人ができるいる場合、それをガイコクの人にやらせてはいけない、ってのがデフォルトのルールなわけ。具体的にいうと、ある一定期間公募して、それでもダメだったから外から人を求める、ってんでワークパミットが有効になるという仕組み。で、この場合ある種の職人さんたちは最初っから外の人しかできない、だったようなないような・・・。

若干誤解あるいは年度による変更があるかもしれないが、とりあえずそんな具合に、かなり独立的、希少性ありの職だったということはある程度言っていいと思う。それにもかかわらず、こっちに住んでいる人ならそんなこととは関係なしにすし職人になれるってのは、やっぱ考えてみてもおかしかったんだな。


お酢を使ってないSushiってなんだよ、と私はかねがね腹をたてているのだが、こういうことを指摘しあうのはどうすりゃいいんだろうなぁ。トロントスターに投書でもするか?