射幸心と夢を見る人

少し前まで、射幸心を養うのはよろしくないという議論が当然にあった。一方で富くじがあり、富くじ付き社債さえあったという話だし、その後は第一勧銀様ご担当の宝くじなるものがあった(どうでもいいけど、やっぱりここは漢字の名前の銀行にしてもらないわいとなんかこう、おさまらない。なによみずほって)。


射幸心をもってはならん、ってのは私は子どもの頃の心がけとしてはとてもいい教育だと思うが、が、しかし、そういう国はでもそう多くはなさそうではあるのだ。でもって日本もかなりあっさり射幸心議論は却下されたっぽくはある。いやしかしそれでも、私の観察範囲では日本の人はやっぱり射幸心だのみ率は相当に低いと思う。


何か月か前にナイアガラの滝に用事があって行った時(あのウルトラ観光スポットに用事があるってのが地元っぽいでしょ(^.^;;)、タクシーの運転手が「カジノに行かないのか」っていうから、いかねーよ、とつれなく答えた。運転手は、だってカジノがあるんだぜ、ちょっと行ってみなよ、嫌いなの?と言った。私は「好きか嫌いってか、全然自分に関係ありそうな場所って気がしないんだけど」と再度つれなくいった。

で、この運転手はあきらかにどっからどうみても、そして口を開いたらさらにインド人、インド人可能性率100%みたいなおっちゃんだったんだが、はたと、「あんたどっから来た人?」と私に尋ねた。私は日本とこれまたつれなく言った。するとおっちゃんは、「やっぱりなぁ! そうだろうそうだろう、日本人はカジノやんないんだよ。やってもね、10ドルとかせいぜい20ドルそんなマネーで終わり」と言った。なんでしってんのよ、あんた、と言ったら、「オレはあんた何年タクシーに乗ってると思ってんだい」と、ふふんと鼻で笑うのだった。

彼が言うのは、チャイニーズとコリアン、特にコリアンかなぁ、いや違うな、どっちもだ、彼らはカジノがだーーーい好きだなぁ、なのだそうだった*1)。が、日本人はやらない。彼は、「彼ら(日本人)はさ、スマート*2)だからさ、何をなすべきかしってんだな、うん」と言ったがそれは私が日本人だからオマケとして、いらないっつーのに逆バクシーンをくれたのかもしれない。あはは。


1)この説はでもこの運転手さんが言うだけでもなく、チャイニーズはカジノに行く、とはしばしば言われている。でもってバスにニコニコ顔で乗ってるってな団体さんも考えてみれば実際いるなぁ。あんまり注目してなかったけどホントなのだろう、やはし。私、疎いな、きっとこれについて、です。ええ。

2)今さら言うまでもないが、やせてる人のことではない。


私が察するにタクシーの中の話の繋ぎに(繋がなくてもいいんだ、黙って乗せてくれてもと私は思うが、インド人は一体にとてつもなくおしゃべりだ)、カジノの話を持ち出すのだろうと思う。でもって、似たような顔をしているのだが、その中にカジノに全然ノッテナイ、カジノ的にイケテナイ集団がいるってことなのだろう。

宝くじやらロッテリーが横行したぐらいじゃ、まだ全然ギャンブル度は低いということなのだろうか。しかし、マージャンとかする人もいるけど・・・ま、せいぜかけても「飲み代」だからなぁ。ジャンケンで負けるのと大差はない。だからこそ、カジノも20ドル(カナダドルで1800円ぐらい)なんだろうと思う。


ラク長い話を書いたが、全然まとめない。まとめはないが、なんでこんなことを書き出したのかと言えば、今日のトロントの大話題が、ロッテリーにあたって18億だかを獲得した夫婦の話だったから。新聞の1面もこれっすよ。

http://www.thestar.com/NASApp/cs/ContentServer?pagename=thestar/Layout/Article_Type1&c=Article&cid=1096324215540&call_pageid=968332188492&col=968793972154


でもこの当たり方がちょっと面白い。37歳男性がとりあえず当てた人として取り上げられているが、実際には買ったのは妻。最初は妻が夫に、帰りにロッテリー買ってきてよ、と言った。が、夫は言われたロッテリーを買わず、その場にあった安いヤツを買ったらしい(どうも、夫は射幸心依存希薄派で、マクドナルドで働いていた(る?)妻が旺盛派らしい)。

妻はそれで満足せず、自分で買い直しにでかけて、やっぱりこれよ、と締め切り間際の自分が狙っていたのを買った。そしたらそれが当たりだったというわけ。

なんだかまるでドラマのようだ。前日まできっと文句たらたら、書いてないけど、夫が間違ったもの(ってか妻の気にいらないもの)を買って来た時には、ののしって、罵倒して、あんたっていっつもそー、ぐらい言ったに違いない。鬼のような、というのではなく、ここらの常識に従って言えば、「ビッチ」そのものの形相をしていたのに違いない。が、1週間たってみたら・・・・。

ロッテリーがあたるのを待つって、原物そのものというよりも、この夢のような展開、一夜にしてナニナニを体験したいということなのかな。そして射幸心依存希薄な人、私などもそれだが、というのは、一夜にして大金などいけないとかなんとかいう前に、こういう夢を全く信じていないということなのかしら。

実際私はほとんど夢を見ない(ま、記憶していないというのが正しいのだとしても)・・・あはは。


そうそう、夜寝ている時に見るそれと、現実でないものとを洋の東西を限らず同じく夢とか、dreamと呼ぶらしいのは、結構興味深い一事ではあるまいかとかねがね考えている。ひょっとして別の言語、つまりアイデアが当てられているところもどこかにあるのではないかと思うのだが・・・。どうでしょう?

夢というか、うつしみ、うつせみ、とか、まぼろし、とか、個々に別の来歴を持つ語もあるわけだから、実際には古くは区別されていたのだろうか。あるいは逆にはもっと渾然だったのか。どちらだろう。