それでいったい国連ってなんなのよが先だ。

社説1 安保理常任理事国を目指すのは当然だ(9/15)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20040914MS3M1400D14092004.html


大国志向ではない、納税比率から考えたら応分の発言権をくれ、というのが日本の悲願だから安保理常任理事国を目指す、というのはわからなくもない。

でもって日経の論旨がぐじゃぐじゃではあるが、つまるところ、

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日本にとって安保理入りは目的ではない。重要なのはそこで世界の平和にどう貢献できるかである。それを具体的に示せなければ、国際社会の支持は得られず、意欲の空回りに終わってしまう可能性もある。

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これができないことで空回りしている日本国というのを、日経さんは見過ごせないし、それをすっとばして「オレにも発言させろ」というほどアホでもないということなのだろう。


で、日本にとってはそうだけど、私はこれってもっと抜本的に考えられていい問題なのだと思うのだが。「国際社会が助ける」とは何かと。また、国連ってなんだ、と。助けるとか理事会ひらくとか懇談会開くとかいったら必ずお金がかかる。そのお金の心配は適当にどっかにツケをまわして(アメリカ22%、日本19%の負担)、問題だけ考えましょうというのはやっぱり無理だと私は思う。このままに放置した場合、政府のお金でやりましょう、だが実際にはそれはオレの税金やんけ、というのと同じでだからこそそのお金の使途について苦情を言い得る権利っつーもんが発生する、だったら国際分担金だってそうじゃない?というのは日経に言われずともそうだと言いたくなるのも全然無理はない。


誰のお金でもないようなことになっているから、いくらでも援助機構だのなんだのが整備されて、いくらでも戦争が出来て難民が出てもOKっす、その国のインフラ整備に必要なだけの税の徴収なんかしてるより援助金の方があてになるってのもあると思う。そういう意味では戦争バックアップ機構になっている部分は確かにある。ぶっこわすから教育を含むインフラが整備できない。さらに、特筆大書的にいうのなら、援助です、エイドですといいながら武器を調達するという発想の根幹には、もったいないこのお金で学校建てなきゃ、ってのがないというのだってあるのじゃないのか?

事後的にみればあってよかった、だが、実際には戦略立案者の腹の中じゃ、ま、人間はUNになんとかしてもらうとしてオレたちはさ、爆撃に専念しちゃおう、になってないか? 爆撃した人が応分にその下にある人びとの面倒も見るってのが筋だろうに。


ボス二アの時大量に難民が発生して、その人たちをモノかなにかみたいにカナダとかアメリカに連れてきてキャンプみたいなところに収容していたことがあったが、まるで、爆撃するからちょっとどいて、みたいんだった。いいわけないし、冷静にみて、そうよくよく考えてみると民族対立ってのもメディアが言うほど人びとを支配している考えでもなかったのだよな、あれ。思いだすだに腹がたつ。


私はこのまま国連が拡大されていく方向を好ましいとは考えていない。国連とはなんぞや、が先だ。私が国連代表ならこれで小1時間演説してここにフォーカスをあてさせてから分担金の話にする。ってか、この問題が解決されないとして、という前提に負担金の見なおしプランぐらい用意するな。無益に戦争がない場合に必要な金額、やたらに戦争があった場合の金額、とかさ。あと、国境を超えてビジネスが無法なまでに浸透した場合に必要な金額と、ボーダーを適度にあげたり下げたりした場合に必要が見込まれる金額とかね。そのぐらいやってほしい。いややるべきだ、やらねばならない。