プーチンもチェチェン勢力も

10時からは「The National」というカナダのニュース番組を見た。当然のようにチェチェンがトップニュース。ネットですでに読んだ以上のものはないのだが、映像を見ながら私はますます不可解な気持ちなった。チェチェン独立派が、「いいかい、チェチェン戦争がモスクワにも来たってことさ」とモスクワのロシア人を敵に仕立てるのは筋が通っている。ロシア憎しだ。しかし、あの学校は全然そんなロシアの中心なんてところではなくて、それは地場だ。そこでどうして独立派が活動しているなんて言えるんだ? 独立派という名を騙る単なる一派だろう。だからこの人たちを私たちは、チェチェン独立を願ううんちゃらかんちゃらと言うべきではないと思う。この名前によって多くの人は、そうかそういう人たちなのか、ではロシアが悪い、そうだ、ロシアは昔から悪いのだ云々と、この時間とこの空間に関係のあること以外の論説によってここでparticularであるべき関係を見誤るのではないのか。


とはいえ、プーチンもいいっつーもんでもない。カナダのテレビはあらかた事の次第を伝え、首相が、弔意を伝えつつ、テロとは戦う、といった文言のステートメントを発表したことを伝え、ブッシュも、(そりゃまぁ自説の通りなんだから)テロとは戦わねばと言ったことを伝えて締めた後、一転、プーチン批難のほとんど特集番組となっていた。

プーチンがどんどん独裁になっている、また全体主義国家になる、みたいなことを例をあげながら識者、関係者にさんざん語らせていた。さてしかし、プーチンが独裁者でロシアに発言の自由がなくて民主的でないことによって、一般にチェチェン勢力と呼ばれている人びとが子どもを人質に取るのか? この因果関係は相当おかしいだろう。

とはいえこれはカナダのテレビだけじゃなくて、世界中で、だってどっちもどっちで・・・といった論説が出回ることだろう。いわく、テロに屈しないことは正しい、しかし、といった調子。


私としてはこいういう枠取りこそが間違いの元なのではないかと考える。誰であっても、子どもを人質にした人々は地獄の底までおっかけてでも、ちゃんとした法手続きで処罰するべきなのだ。そしてそれを、他に拡大させることなく(たとえば怪しいチェチェン人なら誰でも逮捕するとかさ)遂行するのがオーソリティというオーソリティにまず求められる行動だ。背景は何かとか、遠回しのどっちが悪いかなどという問題はその後だし、時間的に言うのなら同時でいいが、別の問題だ。情状酌量の余地もないかわりに、余罪を勝手にくっつけられることもない。私たちはそう求めればいい。