物語の終わりのはじまり

中国紙、アジア杯の反日ファンを異例の批判
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040729i212.htm

なんかあちこちで中国人の態度がどうしたこうしたという文言を見るなとザッピングをしながら思っていたら、アジアカップがあったわけね。ついこの間はこっちでは、ヨーロッパカップの結果で、もうポルトガル人が騒いで騒いで大変だった。最後までポルトガル人の大騒ぎになるのかと、その日はポーチュギースがいっぱいいる通りを避けて行動までしていたのに(暇ならむしろ行くんだが、忙しかった) 、なんとギリシャに負けて、あらららだった。

で、中国人の騒動。なんつーか、なんでよりによって重慶でなんかやってんだよとまずはそれを思ったりもするけど、とりあえず、なんというか初めて動く日本人を見たみたいな感じの人もいっぱいいるんじゃないですか。もちろん、本当に戦争時代に傷付いた人もまだ生きてらっしゃるだろうけど、それより多いのは文言の時代に生きている人じゃないかと想像。

80年代からこっちのどうもあんまり気分のよくない理屈の1つは、苦しんだ当事者ではない人々が民族をたよりに大挙して過去をあばきたて、あたかも今の自分にとっての苦痛のように言い立てることが普通になったことではなかろうかと思う。これって、実際にはあまり歴史に例はないのではあるまいか。普通人々が敵対する集団に文句があるとしたら、現在ただいまもその苦境にあるから、ではなかったか。

いずれにしても、今目の前にいる一人の人は過去のその民族を全体として抜かりなくまったく反証の余地なく背おわねばならない、という発想はそれほど長生きできるものでもないと私は思う。