歴史の中に住まない、よくも悪くも

http://www.caribanafestival.com/

31日のトロントは、カリビアンのための日だった。カリバナと呼ばれるカー二バルがあって、毎年おおごとになる。オンタリオ湖畔の公園緑地帯みたいなところにぎっしり人があつまり、1000ぐらいのバンドというか山車が出て、人々は踊り狂う。カリバナと呼ばれる催しはその何週間か前からあちらこちらでコンサートとかコンテストとかが行われており、このハイライトが昨日のパレード。

これは西インド諸島で200年ぐらい続いているカー二バルの北米版ということなのだそうだ。で、トロントでは37年間続いていて、カリビアンの催しとしては北米最大だとかで、毎年北米中から人が来る。総計で何十万人の人がこれ目当てで街を徘徊していたのか私にはわからん。

北米中だけじゃなくてこの時期はヨーロッパからの観光客も多いので、そっちからも来ていると思う。実際私がビール「監獄」で話したおねぇちゃんはフランスから来たんだよと言っていた。フランス人よ、私は、というのだが、私は絶対西インド諸島の人かと思って話しかけていたのだったが。西インド諸島、つまりまぁカリブ海は、ポルトガル、スペイン、イギリスの植民地になっていたところだからそれら欧州人風の人がいてもへんではない。でもって混血の度合いがとてつもなく高いってことなんだろうなぁと感心して(?)しまうのは、一家の中でお父さんとお母さんの顔の血統が違うだけでなく、息子や娘もなんかどっちにも似てるけどまた別のバージョンだなと思わせる顔や姿形の人がいたりもすること。だから、どの人が原住民かなんてことは、実際問題わからないのだろうと思う。となると彼らにとって祖国とはなんじゃらほい、ではあるのだが、そういうことはカー二バルには関係がないので今日は考えないことにしたい…。

ビール監獄と書いたのは、パレードでは基本的には飲酒は禁止されているらしくて、柵のあるテニスコートの中がビール屋になっているから。らしいと書くのは、自分で持ってきて飲む分には公共の道路で飲んでいるだけだからいいんだと思うんだが(缶ビールを飲んでいる人がいた)、売っている場所はそのコートしかない。そこで紙コップに入れられたビールをその場で飲めと渡される。なんかこう監獄だなではあるのだ。

しかし考えようによっては学園祭風だなとも見えるわけで、どうも私にはこの部分が子ども臭い気がしたりもする。ただ、飲んでなくてもあれだけ踊ったり騒いだりできる人々にアルコールはいらんのだなと思えないこともない。


なんというかかんというか、カリバナ素晴らしかったです、で終れば結構なリポートになるのだろうが、私はどうも半分そういう気にはなれない。それはつまり時期が時期、中東政策の混迷が猖獗を極めるばかりなり、だからなのだろうが、なんというかかんというか、飼いならされてるよなぁ、このへんの人たちとどうしても思えてしまうのだった。で、もしそんなことを言おうものなら、抵抗されそうな感じがすることがまた、それがすなわち飼いならされてるってことだよなぁとか思ってしまうのだった。つまり、オレたちは素晴らしいと自画自賛するのはいいとして、しかしどうしてオレたちはここ、北米でこんなことをやっているのだ、とは思わないのかなとか思ってしまったりするのだが同時に、上にも書いたように、そもそももう長いことアイデンティティをどう保つのかがとても難儀なことになっているわけで、だからこそカーニバルなどで一体感を求める以外にはないのだろうなとも見える。そしてカー二バルとはそもそもカトリックだろうがと考えるとなおさら、あらら、だったりもする。そう、彼らは、土地に基づく感情を持てない仕組みに曝されてしまっているのだろうかななどとも考え得る。愛国、あるいはペイトリオリズムって土地、場に対する拘泥のことでもあると私は思うのだが、そうはなれないのだ。だからオレたち、を形づくるために何かが必要だ、と。

その場を大英帝国北米支部でもあるところのカナダが提供しているというのは、それほど気持ちのいいことでもないのじゃないのか、など私は思ってみたり、しかし、そうはいっても、結局はどういう経緯があろうともみんな仲良く暮らすのが一番よ、ではあるのだから、こうやっていろんな人が来ることをウェルカムする政策を取っているカナダ、たいしたもんだよなと言えもするのだろう。実際そうだ。こうやって街にいろんな人が集まる催しがとても多いからこそ、人々は世の中いろんな人がいるものだ、にすっかり慣れることができそこで寛容さを育てていることに疑いはないのだ。しかし苦い。


いやしかしこの苦さは、島国だなどと言っても結構な大きさを持ち、その上、みなさんお忘れのようですが、西欧諸国と伍するところまで行こうと思って行けた(完全に思いすごしだとしても)、暴挙にも似たことをやってみた、その上西欧文明の末たる、あるいは正規代理店たるアメリカと正規戦を戦った経験のある、つまるところつい最近のサダムフセイン登場まで、米国唯一の正規の敵、名誉あるオフィシャルエナミーだったという、ある意味でハイパー恐いもの知らずの国に生まれ育ったが故の贅沢な感慨なのだろうかなとは、知っているつもりではある。