金持ちと貧乏人

いや暑い。夜間18度とかいうのはやめてほしい。12, 13度だと適当ないい感じだが、それ以上になると夜が暑い。

と書く私はきっと東京の友達に殴られそうな気もする。あはは。すんません。

39.5度という気温はネットで見て知ってたけどどうなったかなぁと電話はかけなかった。そのうちメールをくれた人がいて、まったく失礼な言い方だが、メールから、やっぱ暑いんだなとわかった。なにかこう、ぴっしっとしてなくて、ひーふー言ってる感じがとてもした。40度になったら普通の電子機器類は危機だ。私もよく昔扇風機をマックの背中にあてていたものだ。自分は耐えられるけどマシンがぷしゅ〜〜ぅ、とか言って動かなくなったりするんだもの。

で、トロント。そうはいっても日中30度近くまで気温があがるから暑いことは暑いんです。23, 25度ぐらいがまぁアベレージの夏ですが。冬がマイナス30度まであるから、上下あわせて60度って、並じゃないっす。厳しい世界なんですよ、ええ。

で、そのこの世的厳しさの最たるものとしての仕事。今日のトロントスターに、「いい仕事」がなくて若年の子持ちの3割以上が貧しいというレポートがでていた。貧しいといってもいろいろあるわけだが、一応水準点を決めていて、それ以下をpoorとか、povertyとか言う。

で、その話し自体もいろいろ興味深いのだが、今日はそれではなくて、日本語と英語の使用環境の話しを考えてみたい(かたい入りだなどうも)。

poor peopleと書いたらまぎれもなく貧乏人なわけだが、日本の記事でたとえば、これこれを値上げした場合貧乏人にとっての負担は増加する、したがって…、なんていう具合には書かない。

逆に、rich peopleもそうで、新聞の記事で、金持ち、またはお金持ちにとっての負担は小さいが、とは言わない。多分、資産のある人とかない人、余裕のある世帯とかなんとかかんとか、もっともらしく頭もよさそうだが、よーく考えてみれば遠回しに何を遠慮しているのかよくわからないような言葉をその場その場で使っていると思う。

なぜ? 考えてみようと言ったけど本日の私にはわからない。何を遠慮しているのだろう?


と、今タイトルを打ち込んで気がついた。金持ちとーさんと貧乏とーさん、だっけか、あの本は結構この線から考えると画期的だったのかもしれない。いや違うな。日常語はすでにそうなのだ。違うのは書き言葉世界であり、とりわけ新聞、固い雑誌等の世界なのだ。ってことは、この世界が日常から著しく乖離しているということなのか。貧乏か金持ちかっつー、大事というかあられもなくそれ以外にどういやいいんだって話しであるのにもかかわらず書き言葉世界にその分類がないってどういうことなのだろ?

そしてまた気がつく。明治時代なんかには書いてたのじゃないのかな。貧乏人のだれそれとか。ただ金持ちというのはおそらく富者とかそんなではなかろうかと想像。