治水と人と法と私たち

大水は恐い。
治水灌漑こそ国家の要諦とでも言うべきか。すごいことになってますね。


「新潟・福島豪雨」で新たな遺体、死者15人に
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040718i203.htm

で、今日もまた大変なことになっているらしい。地盤ゆるゆるどころじゃないところに大雨なんかふったら大変だし、今後しばらくずっと大変。

と、大変大変という語を連発しているけど、日本って島だから平野は少ないし、その平野もこのへんの平野みたいな一体なんでこんなに平地が広がってるのかわからんような平地じゃなくて、沖積平野ばっかり。川は氾濫するのが見込まれたものでもあるわけで、それを御するのは本当に、今だって結局できないわけだけど、ず〜っと大変だったのだろうなぁとしみじみ思う。

薩摩藩木曽三川の普請なんかすごく立派。でもこういう大きな話しだけじゃなくて、大変なことを、これではいかん、と一念発起して事を成し遂げた人々が各知にいたわけで、こういう人が地方地方での偉人だったし根っこのところにある私たちの偉人像とはこういう人なんじゃないのかと思うのだ。人々がまとまって何かを成し遂げる体験を通して法もその執行も、それから公平さも形成され、それが人々の記憶や身の処し方(家のたてから、口伝的な諸々のすべて)の中に現れる。だからここにあるのが当該地にとっての自然な法だ。西洋人の自然法が私たちの自然法のわけはない。


で、思うのは、こういう人は今はやりの民営化と公有化のどちらに入るのだろう? 今議論されているその両者のどちらにも入らないような気がする。偉人は公務員(藩士)の場合もあっただろうし、篤志家かもしれないし農民だったかもしれない。ということは、今ある議論が実は完全なモデルではないということなのだろう。

若干モデルは違うけど、福沢諭吉が明治以降のグランドデザインについて色々考えている時、人々がこういう人はいい人だ、ってなモデル、道徳的な支柱になる人が必要だと考え、その時に、佐倉総五郎がいいと考えたと言われている。国家、集団をまとめるために何が必要なのかがわかっていたのだろう。

総五郎とは縁もゆかりもない国になりつつあるところを嘆息するに、なんだか大水で流されているのは人やらモノだけではないような気がする。

なんにしても、亡くなった方の多くが高齢者だったことがいたましい。