さらに言えば封建的退行現象なのか

私はAのものだから投票はαへ、という規定の仕方は、私がAに出自を持つにしろ、現在かくあるべし、といった人物規定を阻害するという意味で、近代の崩壊現象だとさえ言える。

しかしさ、どうしてこういうことをず〜っとやってるのよアメリカと私はここ10年ぐらい実は同じことを考えている。私がアメリカに住んでいて最も驚いたことは多分これかもしれない。マイノリティはマイノリティのためになることをしなければならない式の発想法。たとえ自分がその地にあってマイノリティであっても、私には自分がよりフェアであると考えるものを選ぶ権利があるとつっぱねていたわけだが、いや、結構大変なわけです。

思い起せばOJシンプソンのあたりが、決定的に人びとのこれに対しての自制がとっぱらわれるきっかけだったかもしれない。あれは一体なんだったんだ?

そしてそのころ、日本語で読んだものに対して憤激を感じもしたことを思い出す。白人が多い政権ですね、会社ですね、やっぱりマイノリティではダメなんですね、まだまだですね、みたいなことを簡単に書くわけだが、その実際を一体この人たちは知って書いているのか、彼 彼女 が落選する、候補になれないのは、本当にマイノリティであるが故なのか、それとも他の資の問題なのか。マイノリティをマイノリティであるが故に優遇するのなら、その同じ理由はマジョリティである誰か、ある個人にとってある時ある場所で非常な差別にさえなっていることに気がついているのだろうか、であればそこでそう処遇されたその個人をどうやったらフェアな地平に連れ戻すことができるだろう? そこまで考えた上でヨソの国の内部の話しを「論評」していたのだろうか。

蛇足だが、女性が入っていない云々も同様。