要するに政教分離の退行現象

上を書いてしばらくして気がつく。そうなんだ政教分離が確実に退行しているのが今なのだ。それはカナダだけじゃなくて、隣なんてもっと凄いことになってるし、日本もある意味でそうだと思う。*カナダは私が予兆があると考えているだけで、どういう意味でもそうはなってませんので一応念のため。

日本の場合はそれと気づかないのは、そもそも政教も糞もなく、どういう基準で選挙を行うのかが未だに未確定な部分が多かったため。つまり、今の北米2国との比較では完全に1週遅れて似た位置にいるかもしれない。

日本にとってここでリスキーなのは、なんでもアメリカを見て世界だと思いなす根深い傾向があるから、この上で、そうだ世界は宗教の時代なのだとか平気で書く人がいること。

しかし、実際に起こっていることを見れば、ヨーロッパやカナダでは、あきらかにどこにどうお金を使うか問題がまだ中心課題になっている。

逆にいえば、それが中心課題足りえないからこそ、人気とか宗教によって票を集約するモデルが出来て来たということだろう。

ではなぜ、中心課題足りえないか。

国民生活、あるいは国家マネージにとっての案件を討議するべきグループ、つまり政党がないからじゃないの? アメリカの二大政党なんて、国民生活をどうするか問題というより、殆ど人種問題に大きく依存しているといったって構わないような傾向にある。そもそも黒人をはじめとしたマイノリティーなら民主党みたいな発言が普通にあることは民主主義にとって危機だと誰も言わないのはおかしい。日本じゃよく、会社員が会社ぐるみで票を買われる云々で問題になるけど、会社ならまだやめればいいけど、肌の色は変えられない。こういうステレオタイプはすでにして、そこに何をもとに選挙を行うのかの政治的「未成熟」さが現れていると考えるべきだったのだ。

もちろん、こうなる理由は30数年前には立派にあった。しかし、それはその時の正しき政治的案件だったのだ。それを今も引きずる心理的傾向というのが政治に対して不調和だと私は考える。自分の価値観、人生観によって投票行動を起すという意味で宗教的だし、人気投票的なのだ。しかし、行なわれるべきは、人がどうやって食っていこうかの問題じゃないのか?

と書いててむなしいわけだが、自分が食っていくためにより利が乗っているのがどっちかをちゃんと知っている人は実際には宗教的でもなければ人気投票的でもなく行動し、他人にはそうせよと宣伝する。大メディアとはこのためにあるようなものだ。

やけにペシミスティックだけど、日本にとってのここ50年間の致命的な誤りはなんといっても、アメリカを政治的な先進地帯だと考えたじゃないのだろうか。政治というか上の意味での大メディア先進地帯だというのなら理解できるが。あ、そうか、そのメディアにやられた果てとしての日本なのだな。