攘夷か開国か:西部の矛盾から

攘夷と開国にこだわっているのは、しかしながらどうやら私だけではないらしい。

自民党 基本理念委員会」なるところがあって、
http://www.jimin.jp/jimin/project/index.html

ここで語られているものの一端は、まさしくこの国をどうするべきか、どういう理念で進むべきかの講座らしくて、いや〜、そういうことを50年も与党をやっていて今さらやっているというのが素晴らしくもあり、恐ろしくもあるけど、つまるところこれは、どうやって開国したものか(表現はどうであれ)から、まだ一歩も出ていないに等しいことを暴露しているようなものではなかろうか。

もちろん、戦争があってその後世界中が基本理念に悩んでいる、だからオレたちもそうだと言って言えないこともないし、まぁ現実的には、基本理念を考えると書いて、憲法を変えることは正しいのだのアピールの場とするというのが本当の意味ではあるのでしょう。

しかし、宮台さんなんかが講座よろしく懇切丁寧に毎度お書きになっているものの大半もまた、では国ってなんでしょう?のお話しだとお見受けするわけで、そういうものを多くの人が読もうとしているという現状がそこにはあるわけだ(私はそれほど熱心な読者ではない)から、自民党的にいう「基本理念」、私的に言う、攘夷か開国かの選択の迷い、というのは今最も日本人の間で悩ましいと考えられている問題ではあるのだと思う。

ま、しかし、日本以外のところでは、まさか日本がそんなぐあいに悩める日本になっているとはまず誰も思わないだろうなぁとも思う。このギャップはとても大きい。

で、その与党、というか、日本の場合「政府」という、本当ならば、民族というのと同等に抽象名詞であるはずのものが、長い間同じところがやっているもんで、政府といえば自民党、あの人たち、として一体化している、つまり抽象化出来ないようなところにある、まぁそういう与党自由民主党さんの混迷度が知れるというのが、上の委員会での西部 邁氏の講義。
http://www.jimin.jp/jimin/project/index4.html

いろいろ面白いところはあるのだが、氏の考えを当てはめると、日本の自民党は保守でありかつ左翼になってしまう、どうしたらいいのだ、という嘆きが、そういう言い方もなんだが最も面白い。

つまり、保守とは、その国もしくは地域での慣習に則った形で政治を行いたい人たちのことだ。それに対して西部的にはそれら慣習または伝統(この解釈はいくらか痛いいたしいものがあったがそれは置く)をぶちこわしてでも、自由・平等・博愛を追求するような人たちが左翼だ。ジャコバンを見ろ、左翼とはフランス議会から来ているんだぞ、と。

西部的には、この理解での保守をこの自民党に求めている。

ところが、親米だ? 何を言うんだ、アメリカこそ上の意味で左翼じゃないか。
そもそも冷戦などとは、左翼内個人主義派のアメリカと、左翼内集団主義者のソ連のいわば「内ゲバ」じゃないか(笑)。その尻馬に乗ってる自民党は一体なんだ、これが保守か、と。

この嘆きは深いらしくて全編ここに端を発した分裂によって、彼の言うことはかなりやっかいなことになっている。日本にとって保守とは何かに彼自身は答えられていない。しかし実のところこれは本当にそうなのだと私も思うし、この気づきはとても重要ではあるのだ。が、そこから解くとやっかいだ・・・。

だから、別の講演者などが、さっさと、21世紀の保守政党のあり方と、冷戦が終わって、反共というアイデンティティが終わったことによって、と、まぁなんというか、適当なところで分節化して話しを作ってしまっているのだが、こっちの方がはるかにまとまりがあるのは無理もない。なぜなら、こうすれば、ネーションとは何なのかという保守にとって最も重要な点を回避し、唐突に「国家」というできあがった物体を相手にする。だから簡単に愛国と言える。

もっと頭の良い人なのかと思ったら、この人は単なるアメリカとの協調者にすぎないわけだなと気づかされる人ではあった。まぁ学者とはつまるところ、その時々の学問の枠組みの中で上手に見解を述べることが第一なわけで、そこで、いいやアメリカは左翼だ、で憤慨していたらつとまらないんでしょうね(笑)。

西部氏が渾身で矛盾をさらけ出してくれたおかげで、焦点がすっきりしてきた(私にとって、だけど)。まずは、アメリカは左なのにもかかわらず、なぜ右なのか、だ。

さらには、普通保守は憲法改正をしないと思う(笑)。にもかかわらず断固やり抜こうとしているし、意図はどこにあれ現在のところまでで十分に独裁的だ。その意味で立派に社会改革派であり、極めて左翼的だ。これも矛盾だ。

しかも、その憲法は、その保守が忠実の限りを尽くしているところの国が授けたものだったというオマケもある。