自己責任と攘夷/開国問題

ふらふらネットの中のリンク、リンクを辿っていって巡り会った

高遠さんらは自分で自らを救った! 他方、各新聞社の社説「自己責任論」のオンパレードを見よ!
http://university.main.jp/blog/archives/000804.html


私のセリフじゃないです、これがこのページのタイトル。


高遠さんが自分で自分を救ったかどうかには私は異論がありますが、各社の社説一覧は便利。

いやぁすごいですね、これ。あらためてぎょっとする。

一週間ぐらい前アメリカのある都市の日本語のフリーペーパーをもらって読んだけど、そこに投書(連載なのかな?)していた日本人の人はこの様子を嘆いていた。つくづく日本人というのは云々という調子だったので私はこういう表修了妬?砲泙唆貍陲?△詈?覆里任修海砲呂?澆靴覆い韻鼻△泙 △覆鵑世海譟?,世辰燭里世蹐Δ覆箸倭杼??匹海離灰潺絅縫謄?任發修Δ覆里?匹Δ?鷲毀世世韻鼻△世い燭ぁ△修鵑覆發鵑世蹐Δ隼廚Α

お話し戻って冒頭のそれ。大学生の人のページらしくて、そこには9日分だかの書き込みが残されている。いろんな人がいろいろいっていて、なるほどこのようなことを人びとは考えていたのかと今さらながら参考になります。

いやしかし、そこにあるのは、ほとんど、私はどう思うのか、からはじまって、個人はどうあるべきかを考えているものが主流だったというのが私の本日の気づき。残念は残念。

対して私は、最初から言っているように、これは国はどうするべきか、の問題であって、個人の行動の是非とかどういう来歴の人かなんて関係ない。日本人であることが唯一の条件みたいなもんだろう。

しかも国にはどういうことをしてほしいか、なんていうアンケートみたいな話しでもない。国家たるものがなさねばならないベーシックの問題。これ以上でもこれ以下でもない。

ベーシックであることの証左は、ではもし、

「そういうわけで川上さんは自己責任だとの遺書がありますので、日本政府は救出に向かいません」と発言する日本政府を私たちはどう考えるのかという問題だ。

これでいいっていうんなら、私たちの国家とは世界中でだいたい大勢を占めるそれとは異なっており、もしそうなら現行ある法の根拠、法の正統性にも関係がある。全面見なおしだ。*1)

これもまたひとつの攘夷/開国問題だと思う。


1) そうであるならば、日本を守るための防衛なるものは日本国民、citizens of Japanを対象に他に対して行われるものではなくなる。また「国体」の季節なのか?

しかしそうなら、今度は一般に左巻きと目されている人びとの言うこともおかしいかもしれない。国家を過剰に嫌うために、邦人救出の一手段としての武装も認めないというのは象徴的にどうかなと見えないこともないから。

もちろん、ほ〜らやっぱり武装だぁ!と喜ぶ人もどうかと思う。武装することの本質的な意味が国民の保護、救護ではないといっている武装だ、ということをこれらの人びとが了解しているとも思えない。何を喜んでるんだ? だ。

ということで、国家と国民の関係という点から武装を考えれば、実際にはとても現実的な武装にしからないのではないのかという推測が成り立つ。せいぜい鉄砲を持って武装地帯に行く、ぐらいのもんだ。だって人を助けに行くのにミサイルは要らないだろうし、あたり一面を掘って掘って掘りまくる複合的な爆弾もいらんだろう。核などもっての他だ。救護にならん、そんなもの。

思うに、武装と聞いたら全部絶対反対と考える人びとは、結果において国家が武装することをただちに戦争、それも全面戦争に結びつけすぎるのではなかろうか。

ま、アメリカ型の戦争は、これら国民、自支配下民保護を木的とした従来型のものではなくて、なんといっても善か悪か、全体主義自由主義かといった「思想戦」を特徴としているわけだから、いまさらこんなことを言ってもはじまらないのかもしれないのだが。