追うなら全部追わないとだ日本のメディア

で、私がとても気になるのは、日本語環境で見られるものに、こうしたアメリカの変化が反映されてないこと。

まだ確定ではないにせよ、変化に向かって確実に動いていると言っていいと思うわけだが、そういうのをフォローする気はないらしい。

もちろん、今回の場合はなんといってもそんなこと言ったって、このアメリカ発のwar on terrorism テロ戦争とかいうものに乗って、「敵はどこにいるのかわからない」→「そうだ、だからオレたちも戦争準備しないとだな」を引いて来た。

北朝鮮問題というのはこの大枠にかぶせて、具体例として、たとえば、「そんな雲をつかむようなテロに備えてどうするんだ、それよりも社会不安を除くことじゃないか」といった反応に対して、「なにを言う、北朝鮮という確実な不安があるのだぞ、ボクらは」と言えるためにはとても必要だった。つまり歯止めだ、議論還流防止剤といもいったものか。

その防止剤はとても効果的なようで、北に備えよといいながら、数少ない兵隊さんをイラクに給水のために出してどうなるんだ、誰が日本を守るんだ、といった小さな矛盾点を見えなくするのにもとても役立っている。

もちろん、アメリカが仕掛けない限り北の物語もはじまらないとみんな知っているからというのが一番大きな理由だ。

しかしそのアメリカはどうもちょっと様子が変なわけだ。これをどうフォローするか、あるいはしそこなうのか、それによって私たちの進路は大きく変わってしまうと思うのだが・・・というか、変わってしまいそうではあるんだよ、既に。