レーガン国葬を伝える日本の四紙を読む

今日もまた昨日の続きをこれから読もうとしているんだけどその前に、本日はレーガンの葬儀。この一週間これにずっと浸っていた人もいただろうけど、そうでない人も結局ほとんどみんななにかしらのこの映像や記事を読んだだろうと思う。

カナダのマルルーニーと、サッチャーのスピーチが、はっきり「同期」が誰だったかを思い出させて、そこからレーガンの時代というのがどういうものだったのか、多くの人の頭の中にはっきりとしたビジョンが結ばれたものと思う。この時代は現在の北米にとって、確かに少なからぬ影響を与えたのだと、常日頃忘れていたことを再認識させられた人もきっと多いだろうと思う。つまり、ベルリンの壁が崩壊したことによって、北米の人口は確かに変わったからだ。ロシアや東欧の人々はもともといたけれども、そんな比ではない数がここに移り住むことを決断して、そうしてやって来て、今となってはもうまったくそれが普通のことになった。

と、そういう背景をどのタイミングで思い出すかはそれぞれ違うだろうが、国葬となった式自体は、レーガンという人はこういう人だったんですよというキャラを思い出させるようなスピーチが続いて、国葬という語から来る堅苦しさや厳めしさのようなものは(それや軍仕立てで最後は見送るのだが)はあまりないと言ってもいいと思う。それよりもスピーチの間に間に、人々が自分たちの人生のその時その場所を思い起せるようになっていたのではないか、という点に私は注目する。その意味で上手い仕立て。さすがという感じではあった。時間をかけて設定されたのだろう。さり気なく見えるけれども。

死者に対する賛辞を言うという語がeulogizeというんだそうだが、それを弔辞と言っていいのか否か、多分へんだと思うのでこのままにするけど、それをカテドラルで行ったのは、カナダの元首相マルルーニ、イギリス元首相サッチャーさん(さんといいたい)、誰でも知ってるゴルバチェフ、そして今のブッシュ。その場別の機会にはお父さんブッシュなど多数がお話しもしているはず(あちこちに記事があるが、どこで話したのかは私はわからない)。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A35593-2004Jun11.html

カナダのマルルーニ元首相がとてもレーガンのパーソナルな印象を上手に描いていて記事という記事がマルルーニのことを書いている。うまい入りといったらいやらしいがまさしくそうだった。テレビで私はこの部分を見ていないのだがネットで読んでもらい泣きした。とても簡単なことを言っているのだが妙に訴えるものがある。

http://www.canada.com/national/story.html?id=2f49b3b0-3bec-4f6a-8374-1f45f1294e67

この人はアイルランド系だということでその部分で、在任中には気持悪いほどのレーガンべったりだったんだそうだが、なんといっても、移民とか移民の息子がここで成功したのだという話しにはここの人々は基本的に弱いので、普段はただのアメリカ人、カナダ人でも、こういう時、生きるか死ぬかの時に故地が出て来るのは人々の気持を熱くし、とても良い話しになる。プラス要素としてアイリッシュというのは更にこの熱い血に関しての好意度は高いと思う。

でも、マルルーニもそこにべったりになったスピーチをしていないのが好ましくて、同じく「同期」であるところのフランスのミッテラン大統領がレーガンを評していた言葉を使ったり、最後には、au revoirを言う、と、good byeとは一線を画してみたりしている。これは一種の気配りか? なんの?

それはともかく、本日の驚きはなんといってもサッチャーのビデオ。これは去年の終わりに撮られいた、という説と、数年前と書いてあるのがあって、その差はでかいのだが、いずれにしても、まだ生きているうちから、「あの人は偉大な人だった」のビデオを撮っておくのかとびっくり。この場合、自分が先に死ぬかもしれないからその時に、という配慮もあるのか? そうまでもしても、レーガンの葬式には顔を見せなければならないサッチャーなのだろうか。サッチャーの時にはレーガンのがあるのではないかと想像。

と、ここからわかることは、そう、これまでもそうなのだが、基本的に登場人物の個人的な信頼の度合いが高い、絆が堅いというのがとても顕著。国葬と密葬に分けて公私という区分はここにはない。そして、リーダーとは実に個人でなければあるわけもないのだな、ではある。

で、はたと思い出す、ロンといえばヤスと自分で言いまくっていた大勲位中曽根はどうしたの?  

行ってましたね、当然ですね。AP伝が配信した各国のリーダーたち。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A32220-2004Jun10.html

これを見ると一国で3人出してるイギリス(サッチャー、ブレア、チャールズ)と、2人のカナダ(マルルーニと、クラークソン総督、つまりチャールズの世界の人(^.^;;、オーストラリアの総督もいる)を例外とすれば、みんな1国1人っていう決まりなのか。現職はシュレーダー、ブレア、ベルルスコーニ、とこのへんはサミットまま、なのだろう。随分都合がよかった。

と思って読売を見る。

私は別に読売が嫌いなわけじゃない(まだ言ってる)。

ブッシュ大統領は「偉大なアメリカの物語が終わりを迎える」と死を悼んだ。

この新聞はよくよく「偉大な」が好きなのだと思いしった。年中偉大だな、しかし。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040611it16.htm

それはともかく、

                    • -

また、主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)から駆けつけたブレア英、シュレーダー独、ベルルスコーニ伊各首相のほか、中曽根元首相、サッチャー元英首相、ゴルバチョフソ連大統領らかつての「東西両陣営」の首脳も参列、冷戦終結の立役者となった故人に別れを告げた。

                    • -

なぜマルルーニの名前がない! と、別にカナダに義理立てするつもりはないけど、でもへんだと思うんだが。あのおじさんのお話しを入れなかったら・・・。要するにマルルーニから入ると、パーソナルなあの感じの葬儀の文章を書かないとならないけど、それは面倒だ。日本人も入ってないしな。大勲位に出番ないし。じゃあ、「東西両陣営」にすっか、と、そういうぐあいか? そういう具合じゃなくても、なにかこう、とても手抜きを感じるわけだが。

では本日は4紙見よう。

朝日新聞
レーガン元大統領の国葬営む 各国代表参列し最後の別れ
http://www.asahi.com/international/update/0612/001.html

マルルーニの写真がある。でもきっとそれはゴルビーサッチャーと並んでるからだろうな、やはり。コメントはブッシュ氏とサッチャーの、東西冷戦もの関係を引用。パーソナル部はブッシュ父の言葉を使う。かわいそうなマルルーニ。全体としてはでもこっちで見るのと近接している記事ではある。いろんな意味(皮肉を含む)でさすがか。

サンケイさん。

レーガン氏に最後の別れ 31年ぶり首都で米国葬
http://www.sankei.co.jp/news/040612/kok005.htm

タイトル、困って付けたんだろうけど、偉大なよりいいと思う。31年ぶりというのもなるほどな、ですね。でも、日頃あんなにアメリカに付いてゆくと決意しているわりには温度が低い。首都で国葬というのが何かこう、気にいっちゃったの?

そうらしい。わざわざ国葬の由来を書く。なるほどなぁ。でも記事の感じはここまでで一番「粛々として」いる。ただ、それは北米であった感じとは違っているのだが。

スピーチは、マルルーニは今度はマの字もなし。かわいそうに。せっかく詩も覚えて来たのに。

              • -

冷戦の幕引きにともに貢献したゴルバチョフソ連大統領、盟友、サッチャー元英首相、強固な日米同盟関係を築いた中曽根康弘元首相ら1980年代の国際政治の「主役」が、ナンシー夫人ら遺族と悲しみを分かち合い追悼。

                  • -

まぁ大枠で間違いじゃないと思うけど、その「主役」ってのはなんなんだとちょっとへんな感じがする。今日の主役はレーガンだが、その背景で、ポーランドワレサが来ていたことでもわかるように、あの時そうだ多くの人々にとっての混乱(それが例え自由の国アメリカへの道であったとしても)が始まったのだった、でもそれはよかったのだ、やってよかったのだ、という感情が多くの人に共有されていた、そのことが彼の主役たる由縁だったと思う。もちろん山のような異論があったとしても今日ばかりは喜んだ人の方に華を持たせてもいいだろうと思うからなのか、そういえば別に騒動もなかったようだ。

多分レーガンアイリッシュアイデンティティからも、自分のこと、まわりの誰か、友達、妻や夫や恋人、子どもがどうしてここにいるのかを思い出させられた人は多いと思うのだ。それはアイルランドに限らず、みんなどこかで見覚えのある話しだから。マルルーニ、なかなかいい点を付いて来たわけだ。

カナダに義理立てしているわけではないのだが、アメリカの偉大さとみんなが言いたくなるとしたら、「冷戦崩壊」という語よりももっと個人に入り込んだ形でこれら激動の過去20年を思い出すからでしょう。

彼への政策的な支持や不支持よりももっと多くの何かを人々が共有している。そういう気配が私には感じられたわけで、きっと今日眠る前にいろんなことを思い出す人がいるのに違いないと思ったりする。たとえ明日、反共和党の旗をあげて外に出ようとする人でも。

最後に毎日。

レーガン元大統領:
国葬ブッシュ大統領が弔辞
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040612k0000e030046000c.html

冒頭が

                    • -

ブッシュ米大統領は11日、ワシントン大聖堂で営まれた故レーガン元大統領の国葬で弔辞を朗読し、「ベルリンの壁」に「最初の最も強い打撃を与えた」と東西冷戦終結への貢献を高く評価。

                  • -

なんかさ、こんな評価って、笑っちゃいけないんだろうけど、人民なんとか大会はレーガン氏のXXを評価、とかそういうノリがするのだが。どうしたんだ、この新聞はとまずそう思う。どこの葬式なんだ、一体。もはやマルルーニなどあるわけもないって感じ。

で、もう一本あって、

レーガン元大統領:
参列の各国代表から評価の声
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040612k0000e030048000c.html

どうも、評価が好きらしい。
そういう儀式なのか、葬式は。クレムリンの新聞ってこういう感じだったんですか?と聞きたいものがある。

しかもこの中身がすごい。なんでこれを葬式に出さないとならないのか。死して尚許さんという思想でもあるのか?

                  • -

各国代表がおおむね好意的な感想を示した一方、参列しなかった国々からは厳しい反応も出た。リビア最高指導者のカダフィ大佐は、レーガン政権によるリビア空爆(86年)を念頭に「レーガン(元大統領)が醜悪な罪で処罰にかけられることなく亡くなったことは非常に残念だ」と語った。キューバカストロ国家評議会議長は「キューバ革命の粘り強い敵だった」との声明を発表した。

                  • -

カストロは大人だな。こういうのは彼のキャラの範囲だろう。ま、それを言うならカダフィもそうだね。完全にわかって言ってるよ(笑)。で、これをどうやって取ったのだろう? まさか電話した? どこかの新聞から取ってきたのかな。なんでこんなわかってるようなことをするんだろう?

要するに、「評価」したいからなのか。でも誰が「評価」するの? 今日じゃなきゃいけないの?

(総括)
日米は世界で最も大事な同盟だというのだったら、もうちょっとちゃんと扱ったらどうだろう。それは分量ではない。見渡したところ、あまりレーガンという人に敬意を感じている人はいないようだし、そういう人がいて、確かにおかげで酷い目にあったと考える人もいるだろうし、逆に助かったという人もいるだろう、だけどその時代は去ったのだと静かに見守ったり、考えることをはじめようとする人々に対しての敬意もなんにも感じられない。

結局のところ、とても「他人」なのだろう。他人だからこそ友情を育むのだといったこともあまり考えられないように見える。

また、もしこれが日本の天皇に禍々しきことがあったなどという際にアメリカの新聞がこんな扱いをしたら、ものすごく怒るんじゃないかと思うんだが。

これはちゃんとした国にとっていいことではない。