ちょっと実験。ブログってそういうものだったのか?

宮台氏のページを大変面白く読む。いろんな意味で面白いのだが、内容以外の方に私は面白さを見つけてしまった。

http://www.miyadai.com/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=98

↑ここがそうなのだが、このブログなるものはトラックバックなる引用のシステムが新しいらしい(これって、今頃何を言っているのだ、おばさん、ってことなの??)。

で、氏の話しを読む限り、このように私が上のURLをくっつけて引用すると宮台さんちのページのところのTrackbackのところに、引用されてますよ、として表示されるの? これでいいの、この理解でいい? ちがーよおばさん、というご親切な方があれば教えてね!

面白さ2つめ。
そのtrackbackの項目をざっと見たら、下の方に宮台さんは文系なのに理系みたいだから云々とあった。

宮台氏の話しを読んで理系と感じるそれはなんだ、はて?と私としては意味がわからなかったのだが3歩歩いてわかった。それはつまり論理的に書くということか?

もしそうだとしたら(多分そうだと思うのだが)、なんちゅー国なんだ日本は。というより、そういう極めて貧困な言葉しか使えない人を出しているのだなと思ったりもする。どなたか知りませんが、それは、例えば、「他の論者に比べて宮台氏は論理性に優れている」と書くべきとわたくしは拝察いたします。

しかしながら、そして蛇足ながら、私は宮台氏をとりたてて論理性に優れていると考えたことは一度もありませんとも申し上げておきます。それは宮台氏の論理性が劣るからではなく、普通、いやしくもアカデミズム関係者である場合、あるいは現在の立場がどうあれ高等教育機関を卒業し、今話題にしている事柄が、私の秘密、とか私の感想とか言うものではない限り、あのようなものである、それ以外にあり得ないと私は了解しているから。

と書きながら思い起せば、そうですね、日本の中ではそうはなっていないのかもしれない。

もうひとつ面白かったのは、上の問題と内容的には重なるのだが、珍しく宮台氏の言っていることに腹を立てずに最後まで来たこと。なぜだろう?と考えてみるに、2/3ぐらいのところまで、要するに欧米マイナス半アメリカ、の現状を述べたものだからだろうかと考えるに至る。

政府、NPOのくだりとか、国家>個人ではなくて、個人>国家である、いうところの枢軸国モデル(私はこれは当たりだと思うけど、それをこれらネーションの独自性に帰するようなそそっかしい人がまたぞろ出て来るのではないかと危惧したりはしている。それは本当に不毛だしそれのオメデタイ版が1980年代であっただろう)に関する記述などは、旅行ガイド、カナダの政治と社会、とかにあってもいいぐらい、まぁそうですね、といったもの。

と書くと、じゃあ西洋の物まねを援護しているのか、宮台氏は、などと考える人がいるかもしれない。で、それに対して宮台氏がなんと考えるのかを私は知りたい。そうだ、それが近代だということでしょうか。

これはマイナーな私ではあるけど、いろいろ言ってる私にしても問わねばならない問題ではある。で、私としては非常にずるいながらも、モデルは西欧だったし導入者も西欧だが、結果的に見て汎用性があったと考えていいだろう現状から考えて、このモデルを志向することが現在のところ最も害がないのではないかと考えていることをついでながら書いておこう。

もう少し詳しくいえば、これを西欧ローカルものとして限定した時に考え得る純粋非西欧モデルを私たち=日本(そして多分アジア諸国)が持ち得るのかがまず疑問なこと(すでにウィルスに冒された身体をそれ以前に戻すことはできない、ぐらいに考えてもいい)から考えて仕方なしなしそうしようと決意している、というかもしれない。

しかし、ここには私にはまだ迷いがあって、こっちで暮らしているうちにだんだんと、意外とこれはそんなにローカルなものでもなくて、もと發箸△辰身突兩?両紊望茲辰討い襪塙佑┐襪海箸皺椎修覆里任呂覆い?塙佑┐討い襪箸海蹐任呂△襦?發舛蹐鵝△匹Δ△譟?緘?農床あ?祥裏?な銅匆颪貌?辰討い辰親?椶瞭?椰佑箸靴董△匹Δ靴道笋燭舛呂海譴藐気鬚燭世擦仞床あ?祥里里發里犬磴覆い?△箸いΔ里鯲匹靴箸垢襪里?砲弔い討痢?省?笋屬譴?屬譟△修靴独省?笋参翹?寮掬?修了遒澆任呂△襪砲靴討癲

なんせ、こんだけ書きたくなるほどとても刺激的だった。trackbackどうなるだろう

  • あ、あ、ただいまマイクのテスト中
  1. さらにテスト中