根本的な差異をあきらかにする、あきらめる

続き。
どうしてアメリカ一辺倒になったら国家は運営できないのか、の根本的な理由。

アメリカには異文化、概算でイコールで異言語の共同体と「共存」しようという気がさらさらないから。

こう言う言い方が気に触るのなら、別の言い方をしよう。異なるもの、他者をセンスする、受容する器官が根本的に欠けている。もっと悪いか(笑)。

それは別に極悪人だからじゃなくて、そうだとすれば結果的にそう評価されているだけであって、根本的には米語しかしらないし、米語だけでやって悪いとは夢にも思ったことがないから。

それもまた、イギリスの場合には自分で頑張って植民地を開拓ので応分に努力はしている(極悪な意味だとしても)。副作用(良い意味で)として人類学的興味を携えたり妙なオリエンタル趣味があったことを見ても、異文化との接合に関与していることは疑いもない。

で、それで帝国を作ったために言語帝国主義=英語支配が成ったわけだが、アメリカはいわばその果実を食っているわけだから、どうしてそうなのかを知らない。

よくも悪くも、相手がどう思うのかなど考えつく契機はない。他の国、他の考えのある人がいる、という発想がそもそも欠けている。(これは良い場合もある。どんな人も一緒に扱かおうとする、等。)

移民の国とかいっても、ついこの間まで異言語をどれだけ早く捨てられるかという今考えると恐ろしいほど無駄なことをやっていた国だ(例:初代はともかく二代目三代目になって英語しか話せないことは良いことだった。せっかく家とか親戚に別の言葉を話す人がいるのだからバイリンガルに、とポジティブに考えられるようになったのはつい最近で、しかもまだ少数だ。このあおりなのか35歳以上ぐらいの日系アメリカ人はだいたい日本語がとても下手かできないが、この頃の人は両方話せる人がいたりする)。

だから、アメリカで行われていること、行政のあり方とかものの考え方をそのまま、できるだけ真似しようとしても、できない。こんな幸運はないんだから。

残りの世界では、他者がどう考えるのかを知るためには努力がいる。で、それをどう効率的にやるべきかを本気で考えないと、主体性を無くす=アメリカと同じ視線になる、になって、しかし現実には国境はあるんだから、アメリカにとっての他者が従うことになる。もちろん、アメリカの力が続く限りだが。