常態の暴発にすぎないのじゃないのか

夕べ久しぶりに東京の友達と話した。また日本からのメールももらった。

それを総合すると、確かに究極の自己責任論を語っている人は存在するということが確任できたが、同時にそれを「恐い」とおびえている人がいることもわかった。

なんかだから、あんまりその話には口をつっこまないようにしているの。

だそうだった。中年のおばさんたち(若い人もいるが)なので、若い若い人に、「だって自己責任じゃないですか!」とやられると、聞く耳もってないのがありありすぎて、対応できないものと見えた。

私としてはこれってでも、この話に限らないのだよなとも思った。おばさんも含めて日本の人、特に女の人は基本的に恐ろしいと私は考えていて、どうしてかと言うと、「私はそうは考えません」というのを基本的に受け止められない人が多いから。

か〜っとなって、話の中身が何なのかよりもとにかくなんでもいいから相手を私とおんなじにしないと気がすまない人は少なくないように思うのだ。男でも多いのだろうが、私が女なので相手は自分と話が合わない場合、だから女はイヤなんだで頭を使わずに聞く便利な習慣が備わっているからじゃないかと私は思うのだが、キーっとか、カーっとか言う割合は少なかったと思う。

そう考える私としては、この「自己責任論」というのは実はマテリアルがなんであれ、この機構の上に載った、ただの「暴発」なのではないのかなどとも思う。

そしてマテリアルとして自己責任論は最強だろう。なにしろ、ようするに究極は、それはあなたの問題であって、私には何の関係もありません、いいですか、私にも私たちにも関係ないんです、といって他人を追い込んでいるのにすぎないのだから。そしてそれを別の他人にもせよと言っているわけだ。

しかし、そうなるとそれを政府筋やらあろうことか政府首脳なるところにいる人が言ってはいけない理屈ではあるのだ。すべての私たちの問題を、いずれ程度問題であるにせよ、ともあれ受付ぐらいになることこそがそこにいる人の仕事だからだ。

・・・自己責任論じゃなくて、職務怠慢論がなぜ出ないのだ?