おわびと感謝の周縁の重なる私たちではあるのだ

一昨日書いた通りみたいな展開で、ちょっと驚く。

「全身全霊で感謝」 イラク人質3人が帰国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040419-00000001-kyodo-soci

これが共同で、

3人帰国、おわびと感謝=「急性ストレス障害」と診断−イラク人質事件
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040419-00000496-jij-soci

こっちが時事。

謝罪と感謝の周縁が重なっている説を取る私としてはほうらね、だし、なんかこう、読んでくれましたか(笑)と思いたくなるほどだったが、まさかそんなわけはないだろうから、ようするに、ほんとに周縁が重なってるってことの実地版だったのだろうと思う。

意地悪い見方をひとつのべるのなら、どうしても「おわび」と書きたかったんだろうなぁと見ることももちろんできる。共同の方も今井さんの「おわび」的発言を引いている。

で、冷静に考えてみてもまぁ日本人だったらたいてい、どうもすみません、ええ、ありがとうございます、感謝です、ええ、すみません、と、全然ここに心理的な分離を見いだすことなく言っているでしょう。だから、実際には、見出しを「おわび」とたてるも「感謝」とたてるも、たいていの場合においては、これまでずっと同じことの表現型の違いだったのだろうと思うわけです。

今回は高遠さんが、そこから一歩踏み出してはっきりした感謝にしたというのが、日本的心象風景では若干珍しかったわけだけど、私としてはこれは大事な一歩だったのじゃないかなって思う。それは多分、よりフラットな言語習慣のために。