アメリカ人は難民たり得るのか?

まったく悩ましい話だ。昨日、例のカナダに難民申請している米兵さんの記事を1つアップしようと思ったが断念。どうしてかと言うと私自身この人をサポートしたい気持ちがどこかで漸減しているから。

多分もう少し考えれば別の考えも生まれるだろうが、今のところちょっとぐったり。なぜそうなのかと言えば、アフガニスタンやらイラクその他中東域、要するに現在帝国アメリカ、昔西欧一般にけちらされた人びとが職に困って食うに困って難民申請する、これは理解できるし、受け入れ国があることはとても喜ばしい。

しかしここから先だって容易なことではないわけで、本人も大変だが、右も左もわからない、英語のエの字もない、ATMの使い方もよく知らない、事情がまったく不案内な人をこの社会で生きて行けるようにするためには、とてもとても多くの苦労がある。政府がお金も出すし、ボランティアの人たちがなにくれとなく協力している。それでも、とても大変だ。こういうのが難民だ。

本人も大変だけど、受け入れ側も大変という意味のもう一つは、受け入れ側だって職に困ってホームレスになる人がいるところで、難民ステイタスの人たちにはある程度様々な優遇策がある。そうすると内心穏やかじゃない人だって出てくるのは理というより感情の当然。私はこれをケチ臭いとは言わない。できるだけフェアにやろうとみんな頑張っているにせよ、なかなか大変だ。さてここで、アメリカ人はこれに該当させるべきなのだろうか?

 確かに、今現在命にかかわることだ(兵役を途中で抜けるのだから)、という場合、恐らく一時的な滞在をカナダ政府は許可するだろうと思う。そのへんは、超法規だろうがなんだろうがするだろうと思う。しかし、ここで、兵士はカナダ政府と難民ステイタスを巡って「戦っている」と表現することは果たして「フェア」なのか? 
 
 私にはあんまりフェアなこととは思えないのだが。私はカナダ人じゃないが、カナダ人たちを気の毒に思う。イヤだという人を抜けさせることができない=国民を納得させられていない、そのことが根本の問題だとしたら、それに気づくことが求められているのはアメリカであり、アメリカ人たちだろう。だったら、戦うべきはアメリカで、ではないのか? 支援する人はアメリカでやってこそ意味があるのではないのか?アメリカ政府にとって逃げられるぐらい楽なことはないだろう。