思いでの90年代だわ、なんだか。

そういうえば、そうなんだよなと思い出すのは、90年代の真ん中ぐらいまでは、アメリカってこういう余力があったのだなよ、ってこと。アジア系とか、アフリカ系とか様々なオリジンからのいわくヘリテージってのを丁寧に関心をもって見ている人がいたし、そういうのがおもしろく思えた。

日本のエスニックブームってこの余波? 日本からアジアへ、という流れもあるだろうけど、大動脈みたいなアメリカ経由情報、文物の傾向から考えれば関係なしとはしないだろう、やはり。

こうした余力がなくなったのは、要するにマルチカルチャー失敗論勃興によってなんだろうけど、失敗はどこかで「誘導」されてやしないかと、なんだかそういう疑いを持ったりもする。

ただ、「自発的」誘導ってのはきっとあって、それが、株式市場万歳的、金融資本主義の庶民化ではなかろうか? と考えると日本の90年代がどうも薄かった気がするのは、そのあおりをさらに食らって、実際どうしてこういうことになったのかわからない風だったからか?など推測することも可能だろう。

と、久しぶりにガッツが出たわ。

と、書き出したらとまらない私はさらに追加すると。このガッツ。私たちは当然「腹」だと思うが、腹にインパクトのないのがせいよーじん、なんですわ。この続きはまたそのうち。