2004/01/08 (木) 彼我のそこにおける差異こそ


ということは、私たちは、共同体崩壊の手続きが完了することを以て、我が身の構成要素であったかもしれない、少なくともそうなり得たものの一端を手放していることになる。

といって別に私は神社の持つお宗旨性を高く買っているわけでは全然なくて、単純にあれは、地域、地べたを通して、なんだかしらないがオレはここのものである、というidentificationを発行するのに一役買っていたという意味で、う〜ん、逆には恐ろしく宗教的か(笑)、まぁとにかく、啓示的なものも意味もそれとは知られずに人を繋いでいるという機能はある程度以上あっただろうとは考えている。

一方で、日本人にとってのidentificationって、どうしても、幻想であっても妄想であっても、今でも土地媒介だと思う。どうあっても、「○○出身」と書き込まれていないと安心できないらしいじゃない? 各種論説誌がこれ、しかも近年尚盛んだというのはちょっと気に止めておいていいことだと思う。

これを合算すると、神社を旧世代のものとして捉える行為を通して、私たちはこれを無惨にも個人と神社及びそのバックグランドとしての地面との紐帯を失ったが、一方ではその残滓のように地域、地べたとの関係性を有する方向にも動いている。

ここから考えられる方向は、1つは、完全に個人となってそのうえで宗旨、嗜好、思想、思考、志向、指向を選択するということだ。で、これが曰く個人主義的傾向として、現在のところ知識ある人びとは、人はこうなるべきだ、とどこかで考えているものと見える。

私はそのことの是非を問わない。実現すべきか否かも問わない。しかし、現実に、私たちはそういう風には生きていない集団だ、と多分一度ちゃんと整理して考えるべきだと思っている。そうでないのがすべからくいけないのだ、と言う前に。

ってことは、思うに私は1969年の平面にいるってことかなと思ったりする(これは誤読かもしれないが)。

そして、彼我のそこにおける差異こそ、私がアメリカで暮らしはじめた時、一番深刻に気がついたそれだったのだなと今ならわかる。私たちはどうやって私を開示するのを「普通」だと捉えているのか、における彼我の差異だ。

さらに、それを日本に住む人びとに話しても話してもわかってもらえなかったのも記憶している。どうしても「個人になれないんですよねぇ」になってしまう。いや、その前なんだ、と私は思うわけだが。