2004/01/08 (木) またぞろこれも普遍と個別:神社の話

そういえば、お正月だということで靖国神社に行くの行かないのの話が紙面を賑わせていた。

私としては、小泉氏が「私的」に行くというその行為自体にどうして小泉氏(うじ)を排出し、それを支える共同体が苦情を言わないのかが不思議だと言いたい。なぜなら、私的な神社参拝とはそこにしかないはずだからだ。日本における神社とはそういうもの。

神社と日本人の関係は一筋縄ではいかなくて、原初的な関係は明治国家創始以来既に怪しくなっていると言って全然問題ない。「稲八金天社」なる合併神社を作るなどして(為念、稲荷、八幡、金比羅、天神)、末端の神社を処理する一方、国の直轄のランキングを作り、要するに、神社に関する制度一般に明治国家は手を入れてしまっている。従って、「昔のような」という言論の中には、明治以前と明治以降が曖昧な形で同居していることに後の世代は自覚的でなければならない。私たちね。

で、まぁ明治以降100年以上たったわけで、私たちの「昔」は成り行きで明治日本のものになっちゃう。そうなると、「日本人の習慣として神社に」というのも、そうか、って気になる。

しかし、そこが虚妄の始まりではないのか?

というのも、あの戦争中であっても、一般人にとって、神社とはその地域のその人、出自に関する神社のことであって、それ以外のものでなどなかったと推定していいgood and many reasonsがある。

戦争前、戦争中、人びとの間にあった神社は、個人と共同体を結び付けるものであったはずだ。弾丸避けとかお守りとか、あそこにお参りすると死なない等々、今となっては何の根拠もなかろうが、それでも人びとにとってそれが大事な拠点だったと信じていいgood and many reasonsはある。

それら人びとが紐帯を結ぶそれ、神社、とは、まず滅多なことでは靖国ではない。むしろ、そうなったのは戦後では? おかしな言い方だが、戦後になって靖国の地位が明示的になったのでは? 

つまり、私たちは、個別の神社との紐帯を失ったために、日本人と神社、という「普遍命題」に抗うことができなくなった、ということ。オレの神社はこれ、と個別の神社との関係を「私的」と言える人がいないために、「日本人にとっての神社の話」に呑み込まれている。共同体崩壊ストーリーと普遍宗教モデル勃興は密接だなぁ、だし、あほらしいほど簡単なプロパガンダ性言辞だ。