多分これから「国」になるのかもしれない

どうという脈絡もなく、ふと思い出して思い返して自分の書いたものを読んだ。

こういうことをしたくなるのは年末だから。
もっと整理して、ここらの人が口にはりついているかと思うほど言う、クリアか、という点にこだわっていうのなら、

日本人はお正月を節目と考え、その前の年末を物事の終わりであるかのように捉えたがる傾向がある*1。
私は日本人だ。
だから年末になると、振り返る行為に特化したくなる。

以上。

で、自分のサイトの中で読んだもので、

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反・政府的なロックグループは世界中に山ほど存在する。しかし、反・国家的というのを探すのはなかなか難しい。それは、反・政府で人々が悶着を起こすのは、その国をどういう国にしたいかで意見が対立するから何らかの動きが構成されるわけであって、反・国家は、夢想でないとすれば、自分が出ていくことぐらいしか解決法がないからだ。しかしその差異を明らかにすることを嫌ったものか、日本のロックが飛びつくのは、思えば一気にそれら悶着を飛び越え、anarchy(無政府主義、無秩序)であった。

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http://kawakami.netfirms.com/t072603.html

これが気になった。今年もまた選挙で政権を換えられなかった私たちは、まだ、反・政府、を想起することができないでいる、と考えてみることもできるわけだ。代わる代わるになってみてはじめて、反・政府というアイデアが普通とか身近になるのじゃないかと思えるから。

*1 これはお正月という問題ではなく、本当は陰陽の問題であり、冬至の問題であり、そうなると、ヨーロッパのクリスチャンがどうしてああもクリスマス時に熱が入るのか、しかもファミリーが集まるという催しとして、というのとパラレルだと捉えられるだろうと思う。共同体社会にあって大事だった感じ、というのは今もってちらりほらりと生きているってことだとも言える。
 中緯度地帯以北で冬至が分岐点として認識される理由はわかるのだが、しかし、では中緯度地帯以南ではどうなのだろう? 陰が極まっても(こういう言い方じゃなくて、日照時間が最短でもというべきだろうが)、別にどうってことない? 私は、どうしてこういう選択をしているのか知らないが、どういう意図もなく、東京から北へ北へと進んでいるので南地帯に関しては感覚的によくわからないので今後のリサーチが必要だ。なんのために?(^.^;;