夕べの振り返り

■2003/12/27 (土) 他と多と私
シャリアについてはいろいろ読んでからにする。ホントに現実的なところまで行っているのか否か私はちょっと懐疑的。内容に反対するんじゃなく。民事上の問題を解決するために、というその範囲をどこまでにするのかとか、ちょっと整合性が難しいそうだ。飛ばし記事だったりしてないか?と。
*訂正、「難しいそうだ」→「難しそうだ」。随分意味が違うなと発見し訂正。

世の中の基本って民法、取り分け相続法じゃん、だって、と思うわけだが。どうするカナダ?

それはともかく、さらに下の続きで、日系のコミュニティがないことが大変だ、って書いたけど、でも私は逆にはそれでよかったなと思っている方ではあるの。どうしてかというと、だからこそ否応無しに、自分にとってまったくの「他」である人びとと根詰めてつきあわないとならなくなって、そこではじめて「多」様という意味を知った(知りつつある)ように思えるから。

でもって、それが今度は、他者にとっての「他」であるところの「私」に帰ってくるわけで、それが私にとっての日本とはなにか問題になるわけ。

と、ほぼ一年前に、

古いのではない。それは日本的なのだ
http://kawakami.netfirms.com/t010302.html

というのを書いたけど、時節柄読み返して、なんだか自分にとっての原点を思い出させられた感じ。書いておくのっていいですね。そうじゃないと忘れますから。

と、こんなことを書きたくなる私は、やっぱり殆どすべてが日本生まれの日本育ちのmade in Japanでまかなわれていることをしみじみ思う。年の瀬に向かって、一年を振り返ったり、新しい年という言葉に反応したりしてしまうのだ。