空洞>自滅

昨日自民党の空洞化を心配したところだったが、でも当分大丈夫かもしれない。かたっぽが自滅してくれるから。もう、なんなのこの人たち。


野党、沖縄知事選へ攻勢・「教育」慎重審議求める
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20061114AT3S1302D13112006.html

安倍晋三首相が麻生太郎外相らの核保有発言を容認しているのは重大問題だ」。民主党小沢一郎代表は13日夜、都内の事務所を訪れた鳩山由紀夫幹事長にこう述べると、その場で教育基本法改正案の衆院採決を巡って日程協議を進める高木義明国会対策委員長に電話。首相が罷免要求に応じなければ日程協議に応じないよう徹底抗戦を指示した。


審議をしないのなら国会議員をやめろ。ただそれだけ。


しかし笑っちゃうなぁ。片方で、どうあれ話し合わないことには進みませんと、花火よろしくミサイルだの核だのとちらつかせる手合いにさえ話し合いをというのに、そんなことをしてもいない、ただ言葉あるのみと言っている手合いには、審議拒否、お前がいなくなるまで俺は出ないと言い張る。民主党の人々は、自分でやってることがどのぐらいばかげていて、どのぐらい、どんなに贔屓目に見ても理はないということを理解しているのだろうか?


さらに、昨日見たとおり、あの選挙は確かに正しく自民党の文字通りの野手選択の誤りだったわけで、別に民主党の追い風とは到底見えない。それを追い風にって、吹いてもない風に乗ってどうするんだ?


[捕捉]
この頃読売は率直でいいと思う。改めて、民主党、なんの冗談なのこれ。

 各候補者が選挙戦で訴えたのは「県政刷新」だった。それなのに、その選挙結果がどうして教育基本法改正案の審議に影響を及ぼすと言うのだろう

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061113ig91.htm

 夢の革命


今さっき、「中国文化大革命」なるものについてのドキュメンタリーフィルムを見た。TVOで毎週見てる番組を見終わってそのままにしてたら、あの独特の甲高い声で歌う、他のどこでもないチャイナの声というのが聞こえてきて、ああそういえば先週もなんかやってたなと思った。消そうと思ったがふと別のことをしているうちに番組がだんだん盛り上がっているらしくて、歌う歌う。なんだこれはとついに座って見始めた。

これは革命的だ、いやそうだろうか、革命的じゃない、間違ってる、だのなんだのと若いにいさん、ねぇさんが、眉をつりあげて議論しつつ、長征とかいうのか、チャイナの革命神話の中心部を担っていましたとナレーションが語っていたが、それにあわせて奥地、辺鄙なところに若い人が行ったらしい。元気よく。で、その道すがら、古い仏教施設があると、こんなのは封建的だと若者が力まかせに壊す壊す。あっちでもこっちでも。そんなのが続いたかと思ったら、今度はまたまた何が革命的か、これは毛主席の考えにあっているのか否かだかなんだかなんだか、なんだかよくわからない理由で(実際そうだっただろう)、胸の前に看板をかけれた男や女が人民というのか民衆の前に引き出されて、頭を押さえつけられる。人によっては殴られたのかなんなのかなんせ打撲傷を目いっぱい負っていることがあきらかだ。


この間に一組の親子が話しの縦糸になっているようで、父親はその革命中になんかの嫌疑をかけられる。翌日娘は熱心な党の擁護者というか毛沢東の擁護者なので、こんな人は父親ではないとみんなの前で言う。で、その後父親はどこかに連れていかれて、どこに行ったのかもわからない。が、そうこうしているうちにさまざまな事件から娘は毛信仰に疑念を持ちはじめて、そのうち毛も死んで、娘は11年ぶりに父親に会う。会えてよかったけど、当然その間死んだ人ももちろん多数いる・・・他の家族では弟が言論でひっかかって論争の的にされて最終的には要するに処刑されたらしかった。

また、劉少奇の未亡人の話が多分大きな縦糸だったんじゃないかと思う(途中から見たので仕立てがよくわからないというのと、いちいちの人の名前が、当然のことながら漢字読みじゃないから咄嗟によくわからなくて前後で多分それだな、という具合に見ていたので、多分、だが)。


とりとめのない記述だが、そういう話が具体的な話以上に怒涛のようにフィルムから沸いてくる。この革命とはなんであるかという形而上学的アプローチではなくて、当時のフィルムとその当時生きていた人で、多分今も存命の人の写真と思い出でつづる文化大革命という仕立て。

http://www.morningsun.org/film/


先週も見ればよかったと思った。しかし、見るにはいいけど、これがリアルだったなんて、あんまりじゃない?というほど、冗談ではなかった。いやむしろこれは大きな冗談、大きな夢、悪夢というにはあまりにも奇妙にポジティブな非現実的な現実だったのじゃなかろうかとしみじみ思った。ナレーションが語る1967年とか69年とかって、私はすでに生きてるんだよなぁと振り返り振り返りしたが自分の人生とどう合わせていいかよくわからなかった。


途中から見たせいもあるだろうけど、こんな調子で政治を行うって、ごく短期的、殊に戦時中ならどこの国にでも、日本でも、カナダでもアメリカえもイギリスでも、そうして奇妙に立派にドイツでもあるわけだけど、これを何十年も、しかも、別に敵なしにやっていたというのがすごい。まぁ、敵は資本主義諸国、帝国主義諸国だったんだろうけど、それと偉大なるチャイナ作りになんの関係があったんだ? いや、なにもなかったからこそ、この奇妙なまでの、前に向かうぞぉお、革命だぁああああのトーンが必要だったというのがオチなのよね。で、今その人たちはあの時代をどう思ってるんだろう?? いや、夢だったのだから、起きたらきっぱり忘れられるんだろうか?


へんなアプローチだけど、見て損はない一作ではないかと思った。2003年製作の2時間ドキュメンタリー。再放送があったら最初っから見よう。頭がくらくらするけど。

 日本の美を語るのはそんなに難儀なことなのか?


川久保玲さんが日の丸をモチーフにしたコレクションを発表したらしい。で、そのデザインおよび評判はそれはそれとして、それを書いた朝日の記事が、目が覚めるほど馬鹿だった。わかんないんだったら書かなくてもいいんだよ、ファッション、というのもあるし、日の丸をこんなにも大胆に使われてしまったという動揺がそうさせるのか、しっちゃかめっちゃかなことを言っている。

この姿勢は、日の丸や日本の美しさを安易に語ることへの警鐘でもある。しかし最も挑戦したかったのは、批判も肯定もしにくい状況だったように思える。


日の丸や日本の美しさを安易に語ってはいけないのか? 表現されたものの出来不出来は別として、そんな宗教国家のシンボルかなんかじゃあるまいし、まして日本人が日本の国旗を自由に使って何がいけないのか? 日本人以外だって、踏みつけたり焼いたりしない限り、どうとでも多少おかしな使い方でもかなりいいと思う。


メープルリーフ(カナダの旗)やカナダの美しさを安易に語ることへの警鐘とか永遠に鳴らない気がする。つか、たまには鳴らしてほしい(笑)。で、逆に焼かれたりしたらエグイことになると思う。うまく想像できないが大変だ。


最後の一文、最も挑戦したかったのは云々というのは、文としては文脈から考えてもなんだかはっきりわからないのだが、書いた人の心情の流れを想像すると、上でも書いた通り、こんなに大胆に使われたことへのショック、それが「否定も肯定もしにくい状況」という語になったのか。


この記事を外人らしい外人、あまり日本で毒されてない人に読ませて、これをモチーフに今の日本のメディアの人々というテーマで書いてもらったらかなり面白そう。自己韜晦がもたらす喜劇として。


なんか、朝日の中の人、くらくらしているようだ。思えば遠くへ来たものだ。