日本の美を語るのはそんなに難儀なことなのか?


川久保玲さんが日の丸をモチーフにしたコレクションを発表したらしい。で、そのデザインおよび評判はそれはそれとして、それを書いた朝日の記事が、目が覚めるほど馬鹿だった。わかんないんだったら書かなくてもいいんだよ、ファッション、というのもあるし、日の丸をこんなにも大胆に使われてしまったという動揺がそうさせるのか、しっちゃかめっちゃかなことを言っている。

この姿勢は、日の丸や日本の美しさを安易に語ることへの警鐘でもある。しかし最も挑戦したかったのは、批判も肯定もしにくい状況だったように思える。


日の丸や日本の美しさを安易に語ってはいけないのか? 表現されたものの出来不出来は別として、そんな宗教国家のシンボルかなんかじゃあるまいし、まして日本人が日本の国旗を自由に使って何がいけないのか? 日本人以外だって、踏みつけたり焼いたりしない限り、どうとでも多少おかしな使い方でもかなりいいと思う。


メープルリーフ(カナダの旗)やカナダの美しさを安易に語ることへの警鐘とか永遠に鳴らない気がする。つか、たまには鳴らしてほしい(笑)。で、逆に焼かれたりしたらエグイことになると思う。うまく想像できないが大変だ。


最後の一文、最も挑戦したかったのは云々というのは、文としては文脈から考えてもなんだかはっきりわからないのだが、書いた人の心情の流れを想像すると、上でも書いた通り、こんなに大胆に使われたことへのショック、それが「否定も肯定もしにくい状況」という語になったのか。


この記事を外人らしい外人、あまり日本で毒されてない人に読ませて、これをモチーフに今の日本のメディアの人々というテーマで書いてもらったらかなり面白そう。自己韜晦がもたらす喜劇として。


なんか、朝日の中の人、くらくらしているようだ。思えば遠くへ来たものだ。