特殊な国アメリカの特殊性は存続できるのか

アメリカの経済危機はどこまで続くんでしょうかねぇとのんきに言うしかない今日この頃。

気配としては落ち着いている。でも、水面下でなんだか議論の行方が経済あるいは金融そのものというより社会構造の方に移っているような気配はある。

日本でもバブル後にめちゃめちゃになった金融セクターの問題と同時に、なんでこんなことになってしまったんだ→もろもろ→私たちは間違っていた or 私たちはアホだ、みたいな話に流れていったと思うけど、アメリカもそうなるのかなぁという感じ。


今日読んだのは、The Atlanticという雑誌にあった記事。

The Quiet Coup
http://www.theatlantic.com/doc/200905/imf-advice


IMFエコノミスト、現MIT教授のSimon Johnson氏による長い長いレポート。


入りの1ページはこんな話。IMFに来るお客さんってのは同じ悩みで来るわけです、民間からの資金調達がもうできないってなことになって資金を求めてやってくる、と。

で、そりゃ個々の経済事情ってのはそれぞれ違うんですよ。でもね、お客さんはみんな基本的に同じ状態があるんです。その国の経済には、上品にしてるけど緊密なネットワークを持ったオリガキー、経済エリートっつんですか、そういうのがいるわけです。

で、そいつらが資金を集めてきて投資する、儲かる。じゃがすか事業を立ちあげて人をやとって支持を集めていく。でね、上手く行ってる時にはいいですよ、でもしばしばやりすぎる、リスクを取り過ぎるってな経過になる。リスクを取りすぎてるわけですから一旦何かあったら、あっという間にデフォルトの危機に陥るわけです。そうすりゃあなた、誰もそんなところにお金を貸したくはないでしょ。


と、殆どサラ金業者の述懐のような話が続く。
ま、IMFって公儀御用達両替商みたいなところなわけで、ちょっと上品に見えるけどでもこの特種機関の役割は実際問題金貸しなわけだからどうしたってそうなるよなぁと改めて思ってちょっと苦笑。


しかし、IMFが担当するお客さんがサラ金業者のお客さんと違うのは、国家という機関がからんでくる点。


IMF氏が言うには、危機に陥った国(新興国)がオリガーキーを処分しようとなることは滅多にないですよ、という。それどころか逆ですがね、と。

その後オリガーキーのいる国の例が縷々述べられる(当然ながらロシア)。


で、さてしかし、ではアメリカはどうなんだと。
著者が言うには、アメリカは他のセクターで高度なものを持っているのと同じように、この国のオリガーキー体制も高度だす、と言う。

いいかい、金融セクターの代表的な銀行と政府の高官のいったりきたり具合を見てごらんなさい。彼らがどんなに関係が深いかわかるでしょ云々とこもごも例示がはじまる。

しかも高度というのはそれだけではない、人々の考え方まで既定している。まったく高度だと。
つまり、かつてGEにとっていいことはアメリカにとっていいことだ、というのがあったように、ウォールストリートにとっていいことはアメリカにとっていいことだと言わんばかりになっているでしょ、と。


と、こんな感じが続き、ではどうしたらいいのかの提言みたいなものが付いた長い長いレポートになっている。

最初の2ページを読んだ後は、もう面倒で流し見しただけなのだが、個人的には、「なにを今さら」としか思えなかったし、この件に関して解決策があるようには私はまったく思わないなどとも思った(酷い?)。

政府高官と著名銀行またはヘッジファンド等金融管理会社のボードメンバー(取締役)が重なるのは普通にアメリカ的光景だ。で、それによって彼らは機動性があるんだから、まぁいいんでないの、という感想で世界は回っているかもしれないぐらいだ。

アメリカというのは特種な国だから、という表現の具体例として引用される典型的な事態かもしれない。


それにもかかわらず、彼らがそれを今はじめて知ったかのように書いている点に私としては、ほぉ、という感想を持つ。やっぱり、自信なくしてるんだろうかなぁ、みたいな。


実際には、今初めてじゃなくて、ずっとごしょごしょと批判的な人たちは続いてはいたと思う。ただ、誰もそれが更生されるとも思ってないという結論はいつもぼやけた姿でそこにいつも立っていたのではなかろうか? アメリカってそういう国だもの、と。


こう書くと絶望するアメリカ、みたいだけど、そうじゃなくて、その圧倒的なクローニー的キャピタリズムの中で、その中で、それにもかかわらず「成り上がる」ことができることがアメリカの良さ、あるいは、アメリカの自慢なわけだしょ。


で、最近の論調が、オリガーキー的自国にフォーカスがあたっていて、それをなんとか直すべきと語りだしているとすれば、これこそアメリカが弱っている証拠なんだろうなぁとか思う。

あんたら、そんなに上品な人たちじゃないのに、なんでそんな上品なこと言ってんの? みたいな言い方をしてみてもいいかもしれない。どうあれ活路を見出す、俺様、という人にフォーカスを当てられなくなっているのかもしれない。


でも、わからないでもない。
アメリカは、実際にはただの一度も、適度にみんなが食べていける状態をどこかで志向しつつ、結果において適度なセーフティーネットとしての社会福祉なるものを備えた国民国家、だったことはないし、それが大きな支持を集めたこともない。
その代わりに、機会を平等にすることに誠意を尽くそうじゃないか、ってのが国是のようなものだ。それは、ヨーロッパで貧乏だった、一発あててやる、家持ってやる、金もってやる、力もってやる、といった気概だけを頼りにと移民してきた人々の国という成り立ちと良く調和していた。
(上品にいえば、宗教的自由を求めて、なんだろうが、宗教的自由って、要するに、私の考え方は誰にも変えられないってことだから。)


しかし、ここに問題がある。
3代も暮らせば、人は普通にただの国民になる。国民は所与の権利として幸せに暮らせるべきじゃないの、安定したインフラを供給するのは政府の勤めでしょ、など言い出すに決まっている。

(それはそれなりに、感情的に納得できる理屈はつくと思う。普通の歴史社会においては、国民の中の大多数はそもそもそこの最初の居住民とみなせるので、最初っから強力なステークホルダーだ。だから、国家マネージメントを変えるんだったら相応に分け前を出せという権利のようなものもあり得るだしょうし、一方で、国家マネージメントを失敗したら、みんなで貧乏になるという時代も相応にくぐっている。しかし、アメリカ国家は、忠誠を誓うことだけで国民になるのが建前で、彼らは地面に生えたステークホルダーではない。ま、出生地主義ではあるにせよ、アメリカ人にはなるものだ、という考え方は今でも社会の隅々でホールドされていると思う。)


ということで、アメリカ内の人々が、ひたすら成り上がることを奨励されても、もう苦しくなってきているんだしょうし、ぶっちゃけ、できないわけですね。マジョリティの白人は中産階級的になっているので、ひたすら成り上がるなんてことに批判的になってしまったという傾向も大だと思う。

(70年代のヒッピー文化というのは、いろんな視点で議論可能だと思うけど、要するに、成り上がり拒否症候群の第一陣ではないのか、など思うこともある。ヒッピーの人たちって、中産階級の子女だからこそあんなことしていられたわけだす。その同じ時間内に、彼らの政府は、その代わりというわけでもないだろうが、市民権をあげるからベトナム向けの兵隊になれと、他国からの新たな「成り上がり」希望者を募っていた。)



どうなるかわからないけど、とりあえず言えるのは、アメリカが今直面しているのは、金融危機だけではないことは確かだわねぇ。いや、徐々にそうだったがここに来て、さらに混迷を深めるのかなぁなど思い出した。ま、私の気のせいかもしれないが。

保守派からは、オバマが悪いからこうなる云々という風も来ているようだけど、それだけじゃないでしょ、やはし、とは思う。短期的には中間選挙共和党を強くして、民主党政権をロックアップしようという戦法だろうとは読めるが、彼らにしても、ビジョンを提示できるのかはなはだ心もとない。
最終的にラティーノがマジョリティを取っていく近い将来におけるモデルが不分明というのも結構問題なんだろうなとも思う。



FTのマーチン・ウルフもこれを取り上げていた(私は実はこっちからオリジナルに行った)。

Is America the new Russia?
http://www.ft.com/cms/s/0/09f8c996-2930-11de-bc5e-00144feabdc0.html#


あの長いレポートを簡潔にまとめているとは思う。が、問題はロシアになっちゃう話じゃなかろうよ、と思うとこのタイトルが奇妙。つまり、ここには、オリジナルのレポートが示唆してあまりあるアメリカ社会の苦闘のようなものが見えない。

ま、そんなのアメリカ人以外には関係ないからね、勝手に悩んで、という冷酷なヨーロッパ人がそこにいるんだろうかね、やっぱりとか思った。