勝った後の方が不安だ
チャイナ・ハンズが見る日本(7)中国が金メダルで米国を超える日(2008/7/30)
チャイナが金メダルで米国を超えたら、米国民がショックを受けるのではないのか、そのショックは「スプートニクショック」のようなことになるのではないのか、というお話。
個人的には、そんなことにはならないんのでは?と思う。米国民ってオリンピックに思い入れがあんまりないから。ま、一応、悔しいだろうが、そんなことより経済だ、馬鹿者、の時代だから余計、散漫にしかショックを受ける層がいないと思う。
そもそも、オリンピックでの優位性って、戦後においてオリンピックに命かけてたのがソ連、東ドイツだったことを見ればわかるとおり、もっぱら東側の諸国にとってのみ存在したのじゃまいか?
つまり、全体のリビングスタンダードで勝てないから、スポーツとか芸術とかで、西側的退廃に染まっていない我々はすばらしい、と言いたかった、と。ナショナリズムというより、戦後のオリンピックはこの宣伝舞台だったと言ってもいいのでは?
従って、それが理解できてしまう西側諸国においては、オリンピック熱と自らのアイデンティティは結構緊密でない、というのが私の見解。プロスポーツ好きが多いし。
それよりも、私が怖いと思うのは、勝っても、たいした反応(特に尊敬みたいな)がない、という事態を迎えた場合、チャイニーズはどうするんだろう、という点。
オリンピックを巡る命の賭け具合ってもんが違う、という点にまず気づいてない。その上、時代はもうすっかり、そういうスポーツをする人もいるけどそんなもので国力ははかれませんよ、とか普通に言うのがむしろ常識的な西側諸国民。勝った人には賞賛は惜しまないが、それはそれとして、それで国家Aが偉い、なんて、まぁ普通誰も思わん。
そこに、チャイナは強い!と得意満面の人々が出てきた場合、これを不愉快な気分で見る人々が世界的に輩出することになる可能性は高い。しかし、チャイニーズはこれをなぜ不愉快に捉えられているのか、多分わからないだろう。なぜお前も喜ばないのだ、とか、ジェラシーだ、ぐらい言い出すかもしれない。すると、さらにその不愉快感は拡がる。悪いことに、多分、これは表面的な論争にはならず(勝利者には賞賛を、ってのがモラル的に正しいから)、そうね、素晴らしいわ、と言って冷たくスルーになるんじゃないのか。
メディアがチャイナの時代だのなんのと書けば書くほど、人々はむしろ冷たい違和感を持つかもしれない。
従って、チャイニーズにとっては、勝っても思っていたほどに自分たちをセキュアにしないという結果に戸惑うということになるかも。想像するだに痛々しい。