幻想の社会を語る人


朝日の社説を読んで、はたと思った。
日本が長期に低迷めしている10%とはいわないけど、5%ぐらいの責任というのはこういう新聞が毎朝説教を垂れてしまうことにあるんじゃないのかなぁ。

 住宅価格の上昇は、景気の牽引車(けんいんしゃ)である個人消費を活発にさせる。米国経済は再び力強く成長し続けるかにみえたが、それは幻想だったのだ。

http://www.asahi.com/paper/editorial20080124.html#syasetu1


いや、幻想じゃなくて、価格が相応に下がって来たら買いが入るんですよ。買いが入ってきたらまたマーケットはぴったりになってきて、そうしたらまた求められる生産量が上がる。こうやって経済というのはうねりを作りながら右肩上がりに上がっていくわけです、と私が言うのもへんだが、そういうもんだろうと思うし、そうでなかった状態は過去何十年か何百年かないと思う。が、この執筆者の頭の中にはそういうリアリティがないみたいだ。


カナダを例に取れば、2001年ぐらいに若干停滞してからここまでほぼ順調に7年間推移してきて、今若干「戻し」、つまり調整だなというところにある。で、差し引きして考えて見ても、今後さらに多少下がって来ても、「それは幻想だったのだ」みたいな感想を生む余地はない。十分社会全体として得るものはあった。カナダ的な言い方で言えば「リビングスタンダードが上がりました」という状態にあるだろうし、今後もそうしたいという希望が普通にある。うねりながら。
(私はそれが急すぎるだろう、一服しとけー、やりすぎだー、へんなところにお金使うなぁ、へんな建物建てるなぁとはずっと思ってきたし今も真面目に考え直せ、おかしいぞと思う点は多々あるので、今後の停滞具合に深刻なものがないとは言えないのではないのかとカナダ経済を見てるが、うねらない経済体を目指せと思ったことはない。)


で、つまるところこの執筆者なんかの頭の中にある、経済的に成長している状態というのはどういう図なんだろう? うねりとかなくて、一本調子に棒上げし続けるか止まっている状態か? 根本的に社会発展のモデルみたいなのが、へんかもしれない。


で、こういう迷惑な(あるいは現在住む世界にとってリアルでない)発言を日々垂れ流されると、こういうレトリックの中に人が住まうようになる。

つまり、頭の中で発想することがこういうレトリック(幻想だった、とか、力強く牽引する、といった形容でものを語る)に親和的になる。そうすると現在の社会モデルに対して「正」の位置に入れない人が増えてきてしまう。するとその社会では、現在のモデルに対して合理的な発想をする人が減少する、という連鎖ではないかと思われ。ここでもまた合理性問題だわ。


どうやったら朝日を垂れ流さない社会にできるか。日本復活の鍵はここにあるに違いないとまで思う私。



ついでにこれは周回遅れでは? 2003年ぐらいならまだしも今はむしろ収束した結果として・・・じゃまいかと思うんだが。なぜそれがわからん?

 米国によるイラク戦争の失敗と、米国を中心とするマネー経済の変調。覇権国の揺らぎに備えねばならない。