現状優先、しかし筋を問うて悪いことはないっしょ


夕べ遅くネットでマーケットニュースを見るともなしに見ていたら(ただオンになっていたとも言うが)、Japan Lower House OKs naval missionとかいう一文が目に飛び込んだ。lower houseって下院ってことはそりゃ知ってはいるものの、場所がマーケットニュースでおりしも、あたり中でhousingがどうしたこうしたと言っている矢先だったため、一瞬、0.5秒ぐらい日本の住宅ローンにもサブプライムがあって混乱か?と思った。まったく馬鹿な私。


気を取り直して、ああ衆院通過、そりゃそうだと思ったもののこの先こそが問題だというのも、なんだかへんな話に思えてしまう。この問題でなければ(ここが重要)、普通の問題であれば、下院が通ったらそれでOKじゃん、など思わないでもないから。夏の頃には参議院で負けたからといって民主党の勃興こそ「民意」だとか書いている新聞も新聞だと思っていた。要するに、両議院ともに衆の、あるいは普通の意味でのrepresentativesになってしまっているというのはまったく不効率な話だと基本的に私はそう思っている。上院(参議院)の存在そのものは、何かあったら困るからというある種のフェイルセーフの発想で存在すべきだと思っているが、今のままでいいとはまったく思ってない。上院は、貴族院ぐらいでちょうどいいんだと思う。ほとんど無報酬に近い状態で、お国の大事の時に自己の目先の利益関係なしに、ああでもないこうでもないと延々議論を張れる、でもって、落ちても「ただの人」になる心配がない、選挙で落ちることが失職を意味しない、好きなように議論を張れるような人にやってもらうのが二院制の本義だと思ってる。

おそらく戦後、貴族制を廃止した拍子に、こういうある種貴族的あり方をした人々というのを代表に据える、という発想をタブーにしてしまった、しかし形は二院制を堅持してる、そこで、成り行きで、国会議員とは全員国民から選ばれた人であるという形を文字通りにやってしまったのがこういう結果になっているのじゃまいかと思うのだが・・・。

ちなみに、同じようにイギリス発の二院制を持ち、同じように貴族のいないカナダの上院議員は選挙じゃなくて任命制。基本的には州を代表する人という形になっているため、被選任資格としては、州に居住してその州にいくばくかの資産を保有していることなどがある。つまり定住しててさらにお金に困ってるような状態じゃない人というのが基本的なアイデアなんだと思う(ただ実際にはこの資産条件は現在の価格ではたいした額じゃなかったはずなので、放置されたままなのかもしれない。どうせそうなってるし、だから)。居住しているというのは、しばしば一定数の会社の役員以上にも求められることがあるんだが、これはおそらく、昔植民地だったもので、不在地主ならぬ不在オーナーみたいなのに危機感、嫌悪感があるからなんじゃなかろうかと思ってみたりもする。ちなみに終身ではない。定年制付き、辞職可、議会を一定期間欠席すると首、という縛りもある。
なにせ、こうして選ばれた人々なので、当然のことながら、政権の維持には上院の信任は不要。つまり下院の優位は明瞭。だから、カナダ人が同じように二院制だと思って日本の状況を見るとちょっと混乱する。


いや、カナダ人の混乱はどうでもいいのだが、ともあれ、

一方、米国から見ると、「ねじれ国会」に端を発する日本の政治は見えにくくなった。福田首相小沢一郎民主党代表による「大連立」騒動は、日本が同盟重視なのか、それとも国連至上主義に向かうのかを疑わせる不透明な動きとして映ったことだろう。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071114/plc0711140239000-n1.htm


米国の政権中枢がこのたびの事態を把握していないなどということはありえないだろうと思うが、アメリカおよび日本以外のところにいる一般人からすると、何やってんだかまったくよくわからないとはいえるだろうと思う。

先週のEconomistの小沢関連の記事なんて、このたびの混乱を小沢という壊し屋が過去20年近く長期政権の自民党を壊そうとしてきた動きの中にくるめてしまっていて、給油問題、大連立騒ぎをその文脈の中に書いていた。これって、ちょっとへんじゃないのと思ったり、でも、日本関連を書く使命にあるところのスタッフライターが、日本における米国の圧力と憲法問題、そこから派生する軍事行動の取り扱いといったものを知らないわけもなく(クォリティの問題として知らないライターもいるだろうが)、これはこれで、どういう揶揄、どういうカマなのかしらなど思って読んだりしたものだった。日本関係の外信記事、殊に外交関係のそれについては(非日本世界にとっての)タブーみたいなものがあるよなぁなどしばしば思う。


で、そういう外国の反応はともかく、この問題は日本の中でこそ見えにくいのじゃまいかなど思ってみたりもする。たとえばそれは、

 福田訪米に先がけて仏、独首脳が相次いで訪米し、米欧同盟の緊密化を再確認した。日米、米欧、日欧の重層的関係の強化と発展をめざすためにも、日米同盟の意義と価値の明確な発信力が問われる。福田首相は同盟が危うい局面にあるとの切実な認識を忘れず、実りある会談を実現してほしい。


とこういう認識は事実上、あるいは現実的に誤りではないにせよ、筋から考えると、そもそも、主体の当然の権利の発動としての自衛権以外には戦には参加しないんです、俺たち、と書いてしまった憲法を持ったまま軍事同盟に参加していくとはどういうことなのか、という件にクリアな回答が日本にはいまだかつて存在していないというところが問題なんだろうと思う。

そこを、現実を優先して、産経のようにすっきりした「主張」(さも客観的な「社説」たる括りで書かないでこういうことを主張として挙げる産経のセンスを私は買う)をするのもいいだろうと思うし、それに連なる人も多いだろう。

しかし、筋問題を忘れるわけにはいかないし、放置すれば整合性を失ったそのほころびから思わぬミスリードだってあり得るという見解も当然に堅持されるべきだろう。で、その上で、ある種のアクロバットみたいな解釈の小沢説(基本的には軍事同盟から軍事力を出すんじゃなくて、国際社会のコンセンサスを根拠に軍事力を出す。国際社会のコンセンサスは国連を持って代置する、といったものかと私は理解しているが本人の見解を聞くとそうは聞こえないこともあるから困る)を是とするのも一手だし、そんなアクロバットをするなら憲法を改正して、自国の責任で普通にかくかくしかじかの条件の下での軍事力行使のオプションを持てばいいんだ、と言う考えも当然に出てくるだろう。

個人的には、小沢アクロバットはあまりにもconsequencesを考えていなすぎだと判断しているので(その理由は別途書く)、憲法を改正する方向に手をあげる。ただ、これが今月考えて来月できるものだとも思ってないので(今まで何してたんだ、でもあるわけだが)、その間どうしたらいいんでしょう、で、仕方なしなし、産経のいうような現実優先路線を取りながら、そこで喉元すぎれば熱さ忘れちゃうにしないで憲法改正の方向を明確化する、がいいと思う。

こういう泥沼状態では、実際既に持ってる軍事力をシビリアン的にちゃんとハンドルするための手続きを構成できない、練習できない、時々に必要な覚悟とか必要な決め方とかの経験を国民的に蓄積できないという意味で、返って危険だとも思う。ずっと逃げていられるものならそれもひとつだが、幸か不幸か日本って、あっち向いてしらばくれるには国が大きすぎるし、必要な資源を世界中から買い付けている以上、世界中の情勢について基本的にアンタッチぃ、とか言っていられない。

で、他諸国と並んで行動することができない状況が続くと、妙な被害者感情、だまされてるとか、俺には相談もないくせに結局俺らは使われてる云々といった感情が国民の中で強まって、妙な暴発を招きそうで怖い。
(巷間日本で平和主義勢力とか自称してる人たちって、日本のこの暴発を待ってるんじゃまかとさえしばしば思う。いじめながら、相手が怒ると、こいつらこういう奴だと言い出す、みたいな意地悪が見え隠れしてきもいと私は受け止めてる。最大限譲って、健全な人々には見えない。)


そうはいっても、私は小沢アクロバットを読み解かないこともやっぱり問題だと思うんだよなぁ。彼が持ってる見解というのが、要するに私らが現状正当に持っているものの限界なわけでもあるんだと思うのね。そこを読んだ後で、だからこれではいけない(最大譲って、これは長続きしない)という判断を国民的に下すことはかなり有意義だと思う。

が、しかし、どうもなぁ。主要紙がぐじゃぐじゃだ。産経はポジションを取りやすいからだろうが、主張にぶれがないし、この間読んでても外してないと思う。あれだけもこれだけも紙を刷って、この国の言論機関は一体何をしてきたんだろうと暗澹とする。いや、くさしても仕方がない。一人ひとりが、とりあえず理解して、自分が今選ぶものは何で、そのconsequences、成り行き、予想される結果から考える因果関係みたいなものはどうなるのかを考えいこうじゃないのよ、など思う。