防衛組織の問題メモ


ログついでに、ふと。
軍をコントロールするために、ちゃんと文民統制下において一体となって動けるようにするために防衛大臣には重しになってほしいと書いたが、それだけでは足らない。

防衛大臣が重しになるとしたら、それはバランスを取るという意味でなければ本当の安定にはならないだろう。つまり、ただ押しが強いという意味の重しでは不安定だし、軍事組織が機能しない。

バランスする。では何と何をバランスするのか。いうところの民意、体現組織としての行政府および議会、言い換えればシビリアンと、実務組織たる軍組織だ。

現状、軍組織の存在感が非常に不確かではなかろうか。軍人らしい軍人の人が表に見えてこない。まずほとんど、大将とか中将とかそいう人が見えないというのは考えものじゃなかろうか。実働組織の長としての顔は出しておくべきじゃないのか?その上で、大臣がいる、という形がいいじゃまいか。今のままだと、ちょっと実務部隊が影になりすぎていて、これでは内部の意見なりがその他市民との整合性を失っていく危険性があったりしないのかしら。


軍服を着てる人が出てきた瞬間軍靴の足音恐怖症になる人の叫び声が嫌さに、面倒だから隠している、というのが現実なんだろうとは思うが、軍を持つ以上これは克服すべきだろう。


どこでもなかなか難しいんだとは思うが、前にカナダのテレビでジェネラルが話しているのを見た時、インタビュアーが、アフガンの問題でいろいろ苦戦しているわけだけど、退却すべきだと思ってるかとかなんとか(ちょっとうろ覚え)とたずねたら、ジェネラルは、それは私たちが決める問題ではなく、あなたたちが決める問題ですよ、私や私たちを戦地に送ってるのはあなたたちですからね、私たちはそこで決められた目標なりを実行するのが任務です、と、さらっと言っていた。


これって、現在の民主主義モデルにあってはこれ以上ないほど正解の答えだなと私は思った(カナダっぽく優等生の発言だとも言う)。でもって、軍を持つ以上こういう対話なりが普通にテレビ、新聞等の各種メディアで行われるようになっているべきだと改めて思った。そうでなかったら、軍と「民意」(政治でもあり、メディアでもある)の乖離が懸念されるような事態に・・・ならないとは思うけど、一応あり得る。

それ以上に、国軍を持つ以上その軍とは、私たちの軍なんだという、ま、幼稚っちゃ幼稚なんだけど、基本中の基本ではあることを常に露出するのは送る側の責任感を情勢し、送られる側の使命感を醸成する上でまったく必要なことだと思う。


で、まったく問題は今現在のあのメディアのラインナップでそれができるの、ねぇ?というところか。
制服着た人を見たとたん、大糾弾大会とか、憲法問題を語るの場とかになりかねないわけで、大変。